リレーコラムについて

下り坂4

山本高史

18で大学入るまで、一滴も飲めなかった。
合気道部に入ってからしばらくは、酒に関してはイヤな思い出しかない。とにかく飲まされる。いまのように先輩後輩関係がクールな時代ではなかったから、際限がなかった。いまや有名地酒のひとつになったいる池田の呉春のいちばん安いのが、潰しのアイテムだった。だからいまだにぼくは日本酒が得意ではない。
そのうち、自分のお金で、自分のペースでお酒をのめるようになって、抵抗は減っても酒に身もこころも許すようになるのは、まだ先の話だ。会社入ってしばらくは、やっぱり付き合いとか、女の子を口説くのにどうしても酒の勢いを借りなきゃとかの、事情が優先されていた。自分の意志で飲みはじめたのは、入社3年目の1年間の営業時代のことだ。オフィスが銀座にあって、先輩のお供をしていろいろ経験させていただいた。もちろん時には説教も食らうのだが、おっサン達の言う、飲みニケーション(噴飯)ってこういうことなんだなーと、結構悪くないな-と、自分の真水と世の中の塩水がゆっくり混じりあっていくのを楽しんでいた。Tという元暴走族の先輩が、おまえは夜はあんな元気で面白いのになんで昼間はそんなやる気がないのだ、朝から酒飲んでこいばかやろー、というもんで素直なぼくは、朝からカフェオレがわりにカルアミルク飲んで出勤したもんだ。もちろん朝から絶好調である。節度を持ってつきあえば、お酒は良いものである。
節度をなくすのは、30ちょい手前くらいから。いまでいうクラブ通いが始まったのである。ぼくの通ってたところは、紀伊国屋のそばの地下にあるレゲーバーで、男9割、1割の女の子もほぼノーマークって感じの、ダウナーだらだら飲み系の店だった。もともとバーボンには好印象を持ってはいたが、この店でヘンリーマッケンナを飲みはじめてから、ぼくはアメリカ南部人の何倍もバーボンを摂取しはじめたのだ。だって、一晩にボトル一本飲んじゃうんですよ、立ったまま。クラブだから。当然次の日仕事にならないで寝てるでしょ、でまたその次の日一本あけちゃうんですね。2日で1日ぶんしか物事が進まんわけです。困ったもんだが楽しいわけです。酒とバラの日々ですね。酒でバラバラの日々っていった人がいましたが。
あの苦しい合気道部の経験で、基礎体力はできていたんだろう。もともとからだはでかい。飲もうという気になれば、飲めるもんだ。それから、ずーっと飲んでます。毎日缶ビール1本飲めば医学的にはアル中だというのに、あんなに。ぼくは一人っ子なので、友だちといると嬉しすぎてついついハメをはずす時もありますが、基本的には明るい酒です。周りの人々もよく飲みます。こういう仕事だと飲まなきゃやっとれん夜もありますが、毎日そんな夜じゃないはずなのだが。
で、ここで今日の下り坂です。
ちょっとお酒とのまあいを、見直そうかなと思っています。
肉体的な問題じゃありません。どちらかというと思想信条の問題です。
くわしくは、また明日。

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