リレーコラムについて

下り坂(ちゃんと5まで書くよ)3

山本高史

最近困っています。ロックじゃないので。
別にロックを、パンクに変えてもファンクでもファックでもいいのだが、ロックとは(はたまたパンクとは)なんていう議論になっちゃうと大変なんで、ここはぼくの考える概念ですすめる。破壊する、ってことだ、すごーく簡単にいうとね。簡単すぎてすこし恥ずかしいが。
つまり最近ぼくはなにも壊さない。噛み付きもしない。べつにへらへら笑っているわけではなく、ぬるい世の中や旧態依然としたもろもろの事柄に、うんざりしたり、嫌悪感をあらわしたりすることもあるが、いまここにあるフレームに(それがいかにヒドイものであっても)少なくとも、壊すどころか手をつけようとはしていない。
以前は、そうじゃなかった。オレも昔はナ(誇)、ってんじゃないよ。あのころはひどかった。自分のかつての若さは未熟さや幼さと同義語である。連れ戻してやる、といわれてもお断りだ。太ろうが禿げようが、いまのほうがいい。というくらいクソガキだった(ねっ?太田さん)
噛み付いてばかりいた。壊してしまえとたくらんでいた。上司もクライアントもヤンキーもおばちゃんも警察もタクシーも関係ない。触るものみな傷つけた(チェッカーズ)もんさ。迷惑なやつ。嫌われていたんだろう。扱いにくすぎた。ただひとつだけ言い訳するならば、やみくもに怒っていたわけじゃない。それじゃ病気だ。いま思うに、この社会のあらゆる場面に存在する、古い(ように見えた)曲がった(ように見えた)フレームに、自分なりの、あくまで自分なりの秩序をぶつけていたのだ。そうやって自分の妄想に近い理想を、模索したんだと思う。なんちゅう大袈裟なと言われそうだが、きっと、そう思う。だって壊すってつくることだもん。オレのロック的に言うとね。体制や旧来の価値観に噛み付き、変更もしくは解体を要求し、ときには、それを実現してきたのがロック史だ。パンクですらそうだ。破壊はあたらしい秩序の要求にすぎない。ただ、ぼくもジョニーロットンもそうであったんだが、そういうストーリーを推測するにはあまりに幼く、ただいつもただ怒っていた。
たぶん、いまここにある社会や仕事や関係性のフレームが気に食わないのならば、あたらしいフレームづくりを、破壊することから始めるべきなんだろう。かつてのように。かつてより上手にできるはずさ。なぜやんないんだろう?これが、ぼくがロックじゃないっていう意味です。
会社に入って18年になります。管理職です。管理とロックはうまくいくわけないわな。体制に噛み付くどころか、噛み付くと自分が痛い。なにか議論をするようなことがあっても、なんか、か弱き大人の代弁者(尾崎)の様子である。ぼくらの仕事はクリエーティブだ。仕事上、前にすすめるために屋上屋を重ねるような作業も厭わずにやるが、本来クリエーティブが実現すべきことは、改訂ではなく創造のはずである。前例を疑い、亜流を蔑むことが、ぼくらの態度であるべきはずである。いま、目の前に空き地はない。古い秩序が古いフレームの上に、巧妙に整理されつくしている。何かほんとうにあたらしい何かを創造する余地はない。壊すしかない。
ロックとは、こころの状態のことだ。
がんばろう。これをなくすと、もうなにもつくれない。
下り坂どころか、おしまい。

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