HALL OF FAME

TCCホール・オブ・フェイムは、その名の通り「コピーライターの名誉殿堂」。
広告コピーのクオリティと社会的評価を高めるうえで 顕著な功績を残された先達を称え、 その偉大な業績を後世に伝えるために2003年から制定された顕彰制度です。

選考方法

TCC在籍10年以上の会員および現職幹事会員の意見を参考とし、TCCのHALL OF FAMEプロジェクトメンバーがさまざまな観点から検討して、顕彰対象者を決定します

顕彰方法

殿堂入りとなった方については、その年度のコピー年鑑で紹介する一方、それを称えるエンブレムが1対作成され、ひとつはご本人へ贈呈、ひとつはTCCのクラブハウス内に設けられた殿堂HALL OF FAMEへ収められ、クラブハウスを訪れる人にその栄誉を伝えることとなっています。


殿堂入りされた方々

TCC HALL OF FAME 2020

岩崎 俊一

岩崎 俊一Iwasaki Shunichi

プロフィール

1947年京都市生まれ。70年 同志社大学文学部文化学科心理学専攻卒業。レマン、マドラなどを経て、79年 岩崎俊一事務所設立。主なクライアントに、サントリー・郵便事業・ミツカン・資生堂・トヨタ自動車・日本フォスタープラン協会・西武百貨店・小学館・ソニー・全国農業協同組合連合会・トンボ鉛筆・ライオン・全日本空輸・ブレナス・住友林業など。TCC賞、ACC賞、ギャラクシー賞大賞、読売広告大賞、朝日広告大賞、毎日デザイン広告賞、日経広告賞、カンヌ国際広告賞ほか受賞多数。

主な作品

『幸福を見つめるコピー』(東急エージェンシー)
『大人の迷子たち』(廣済堂出版)など。

  • ミツカングループ本社SLOGAN
    2005年

  • 郵便事業NEWSPAPER
    2008年

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TCC HALL OF FAME 2017

コピー十日会

コピー十日会とは

2017年現在900名超の会員を擁すTCCも、1958年1月10日にたった17名が立ち上げた「コピー十日会」が母体。1962年には東京コピーライターズクラブと改名し、翌年には年鑑発刊を果たす。コピーライターという職種が日本ではまだ珍しく、広告制作者としてクレジットされてはいなかった時代。誕生した「コピーライターズクラブ」の会則には「コピーライターの地位向上」とある。コピーライターが集まり、広告制作への大いなる責任を自覚し、学習し、研鑽し、コピーライターの存在を世に知らしめる役割を果たすことになった。
 
※写真は、コピー十日会機関誌「COPY」第1号(1959年7月12日発行)より。当時の会員22名(1名欠席)。

コピー十日会名簿(1958-1962)

赤井恒和 / 秋元明弘 / 秋山 晶 / 東 芳弘 / 蟻田善造 / 飯塚正夫 / 石川きんじろう / 石崎淳子 / 市川いづ子 / 伊藤嘉直 / 糸田時夫 / 犬山達四郎 / 井上美智子 / 上野壮夫 / 宇田晃子 / 宇野 旭 / 及川惣吉 / 大沢美実 / 太田勝也 / 大谷隆章 / 大谷 弘 / 岡田耕 / 小川英子 / 小田 真 / 開高健 / 柿沼利昭 / 梶 祐輔 / 兼巻通高 / 鹿野宗孝 / 河井良夫 / 河田 卓 / 川田 浩 / 菊地孝生 / 菊地 秀 / 菊地正彦 / 北村昭一 / 木本和秀 / 桐淵真一郎 / 工藤直子 / 久保 晧 / 久保田信雄 / 栗原弘二郎 / 黒須田伸次郎 / 小林泰介 / 小林 勝 / 小林保博 / 小松原和明 / 近藤 朔 / 斎藤まさ江 / 佐伯 進 / 志垣芳生 / 重松富生 / 菅原龍子 / 杉山隆一 / 洲崎卓夫 / 須藤希一 / 角南守道 / 滝口昭洋 / 竹岡美砂 / 武田 葛 / 多比羅 孝 / 玉木 守 / 土屋耕一 / 出口哲男 / 等々力 隆 / 内藤 京 / 中島啓雄 / 永山十四 / 西尾忠久 / 西部山敏子 / 野田増代 / 野村 昇 / 長谷川源吉 / 長谷川竜生 / 畑 孝宣 / 服部 清 / 林 厚爾 / 播磨慶一 / 平野 勝 / 福田正博 / 福原 博 / 藤井経三郎 / 星谷 明 / 前原藤司 / 増山太郎 / 宗内 順 / 村川修二郎 / 村瀬 尚 / 森村 稔 / 吉田隆一 / 和田貞芳 / 渡辺 蔚

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TCC HALL OF FAME 2015

仲畑 貴志

仲畑 貴志Nakahata Takashi

プロフィール

1947年京都市生まれ。京都市洛陽工業高等学校機械科卒。広告制作会社サン・アドを経て独立。広告企画・制作、マーケティング戦略、新製品開発などを専門とする。 主なクライアント、サントリー・ソニー・TOTO・JR九州・ペプシ・クレディセゾン・武田薬品工業・ワコール・明治製菓・味の素・オムロン・資生堂・東京ガス・日本経済新聞社・ブリヂストン・野村證券など多くの広告キャンペーンを手掛け、カンヌ国際広告賞、ニューヨークADC国際部門賞、クリオ賞、日本宣伝賞山名賞、毎日広告デザイン賞、朝日広告賞、読売広告賞、フジサンケイ広告賞、ADC賞、TCC賞ほか国内外の広告賞を300以上受賞。また毎日新聞紙上では「仲畑流万能川柳」の選者も務めるなど、多岐にわたり活躍する。

主な作品

『考える技術発想する方法』(日本実業出版)
『勝つ広告のぜんぶ』『勝つコピーのぜんぶ』(宣伝会議)
『この骨董が、アナタです。』(講談社)など。

  • 九州旅客鉄道POSTER
    1994年

  • サントリーNEWSPAPER
    1977年

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TCC HALL OF FAME 2014

小野田 隆雄

小野田 隆雄Onoda Takao

プロフィール

1942年栃木県足利市生まれ。1966年東京都立大学人文学部卒。同年株式会社資生堂宣伝部入社。1983年独立、個人事務所経営。2001年よりエフクリエイション株式会社クリエイティブディレクター兼務。主なクライアント、資生堂、サントリー、三菱自動車、パルコ、東急百貨店、ライフネット生命など。TCC賞、朝日広告賞など受賞。

主な作品

『イル・バルサミコ』求龍堂
『風に向かって咲く花』求龍堂
『職業、コピーライター』バジリコ株式会社

  • 資生堂NEWSPAPER
    1973年

  • サントリーMAGAZINE
    1988年

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TCC HALL OF FAME 2013

西村 佳也

西村 佳也Nishimura Yoshinari

プロフィール

1942年東京生。早稲田大学政治経済学部卒。オカスタジオ、サン・アド等を経て、74年フリーに。2004年より多摩美術大学非常勤講師を勤め、07年教授。09年退任。サントリー、資生堂、西武百貨店、IWS、NTT、日産、トヨタ、日本生命、東芝、PRGR、バージンエアライン、キリンビールなどの広告を手がけ、毎日広告賞・朝日広告賞・ADC会員賞・TCC賞・クリオ賞・IBA賞・カンヌ賞など受賞。東京アートディレクターズクラブ会員。

主な作品

『そのとき風が四人の胸を串刺しにした』ウェスト・ヴィレッジ
『閑休自在 悠々自滴 異口同飲』美術出版社

  • ザ・ウールマーク・カンパニーPOSTER
    1973年

  • サントリーMAGAZINE
    1991年

眞木 準

眞木 準Maki Jun

プロフィール

1948年、愛知県生。慶應義塾大学経済学部卒。71年、博報堂入社。83年、眞木準企画室設立、フリーとなる。74年、ソニーで最高新人賞受賞。サントリー、伊勢丹、三陽商会、全日本空輸などの広告を手がけ、TCC賞はもちろんACC賞、朝日広告賞、読売広告賞など受賞多数。多彩で知名度の高い仕事群の中に社会的に流行したまさに「キャッチフレーズ」を多く残した。2009年、死去。

主な作品

『胸からジャック。心にささる一行メッセージのつくりかた』 大和書房
『ひとつ上のプレゼン。』 インプレス など

  • 伊勢丹POSTER
    1989年

  • 伊勢丹POSTER
    1989年

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TCC HALL OF FAME 2012

糸井 重里

糸井 重里Itoi Shigesato

プロフィール

1948年、群馬県生まれ。法政大学文学部中退。1968年、コピーライターとしてデザイン事務所に採用され、その後フリーに。「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」(1975年)でTCC新人賞受賞。西武百貨店の「不思議、大好き。」(1982年)、「おいしい生活。」(1983年)のキャッチフレーズや「糸井重里の萬流コピー塾」(文藝春秋)の連載などで、80年代のコピーライター・ブームの火付け役となり、後進へ多大な影響を与えた。広告界での活動と並行して、作詞家や作家、タレントなどとしてもマルチな才能を発揮。現在も旺盛な好奇心のもと、ゲーム、ソーシャルメディアなど、さまざまなジャンルへ興味と活動の範囲を広げ続けている。東京糸井重里事務所社長、「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。

主な作品

  • 西武百貨店POSTER
    1982年

  • 西武セゾングループMAGAZINE
    1988年

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TCC HALL OF FAME 2011

清水 啓一郎

清水 啓一郎Shimizu Keiichiro

プロフィール

1933年(昭和8年)、長野県生まれ。信州大学を経て、東京大学文学部卒業。博報堂制作部を経て、エージー創立に参加。副社長を経て、フリーとなる。「しみるなぁ、風呂上りの一杯」「ただよし、元気にやっとるきゃ?」の名セリフで話題になったカゴメの野菜ジュース広告や企業広告で、TCCクラブ賞、TCC特別賞、毎日広告デザイン賞、ADC賞を受賞。以降、TCC副会長や、数々の広告賞の審査員、さらには早稲田大学文学部講師を務めるなど、広告界の発展に大いに寄与した。

主な作品

「アドバタイジング・アート史1950-1990」美術出版社
「ART DIRECTION TODAY」美術出版社
「流通広告ハンドブック」繊研新聞社 (いずれも共著)

  • カゴメNEWSPAPER
    1979年

  • カゴメNEWSPAPER
    1980年

鈴木 康之

鈴木 康之Suzuki Yasuyuki

プロフィール

1937年(昭和12年)、秋田県生まれ。早稲田大学仏文科卒業。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰。卒業後、桑沢デザイン研究所でデザインを学び、日宣美展奨励賞を受賞。コピーライターとして日本デザインセンターに入社し、アド・エンジニアーズを経て、独立しフリーとなる。1969年に株式会社タイム設立。「コピー年鑑」の中の先輩・後輩を師と仰いで作品を読解してきた研究が後に著書「名作コピー読本」となり、後進たちのバイブルとして長く愛読される。古今の優れたボディコピーの存在を世に知らしめたこと、多くの講座で後進の指導、育成に努めたこと、数々の企業広告シリーズを残したこと、加えて長年のあいだTCC幹事として貢献したことなどにより高く評価された。

主な作品

「名作コピー読本」誠文堂新光社
「新名作コピー読本」誠文堂新光社
「名作コピーに学ぶ読ませる文章の書き方」日本経済新聞出版社
「文章がうまくなるコピーライターの読書術」日本経済新聞出版社

  • 名作コピー読本誠文堂新光社
    1982年

  • 協和発酵工業NEWSPAPER
    1985年

坂本 進

坂本 進Sakamoto Susumu

プロフィール

1937年(昭和12年)、群馬県生まれ。前橋商業高等学校卒業。オリコミ宣伝技術部を経て、レマンへ。栗田工業、日本警備保障、ヤクルト、ユニオンクレジット、ダイヤモンド社、毎日新聞社などの広告を手がける。1970年代から西武百貨店のコピーを担当。「小さな手紙」「小さなカタログ」「ピックアップ西武」と続いた新聞突き出し広告のシリーズは、小型広告の金字塔となる。1982年、死去。

主な作品

追悼文集「坂本っちゃん いつまでも」レマン
「Pick up 西武」西武百貨店販売促進部

  • 1978~1983掲載のシリーズ広告より

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TCC HALL OF FAME 2010

朝倉 勇

朝倉 勇Asakura Isamu

プロフィール

1931年生まれ、東京出身。1960年1月、米国海軍戸塚無線送信所技術者から、ライトパブリシテイに転職、コピーライター1年生に。1975年マグナ代表取締役副社長。1991年よりフリー。その間、ヤマハ、サッポロビール、キヤノンカメラなど、数々の広告を手がける。2011年用の小学校国語教科書に、『コピーライター』が教材として初めて本格的に採り上げられ、作品として、1971年の公共福祉広告「さようなら、人類。」が紹介されることになった。日本ペンクラブ会員、日本現代詩人会会員、ドリームデザイン顧問。

主な作品

詩集『掟』書肆ユリイカ
『Expression 旅の写真と詩の旅と』日本航空
詩集『鳥の歌』思潮社(第4回丸山豊記念現代詩賞受賞)
詩集『田園とスケッチ』メディアファクトリー
『ポールと小鳥』童話屋
詩集『散骨の場所』書肆山田 ほか

  • 日本楽器製造NEWSPAPER
    1966年

  • 毎日新聞社NEWSPAPER
    1971年

赤井 恒和

赤井 恒和Akai Tsunekazu

プロフィール

1934年生まれ、大阪出身。関西学院大学卒業後、3Gグループにてコピーライターとして仕事をはじめ、1961年、大阪より上京、日本デザインセンターに入る。1964年、電通へ移り、キッコーマン、生命保険協会、花王石鹸、旭化成工業、髙島屋、日本水産などの広告を手がける。朝日広告賞グランプリ、毎日広告デザイン賞など多数受賞。1989年、死去。

主な作品

  • 生命保険協会NEWSPAPER
    1971年

  • キッコーマン醤油NEWSPAPER
    1972年

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TCC HALL OF FAME 2009

秋山 晶

秋山 晶Akiyama Shou

プロフィール

1936年、東京生まれ。1958年、立教大学経済学部卒。同年、講談社入社、宣伝部勤務。1959年、バイクショップでYAMAHAのポスターと出会い衝撃を受け、そのデザインが細谷巖氏であることを知る。1964年ライトパブリシテイ入社。以来、キユーピー、サントリー、サッポロビール、キヤノン、大塚製薬など数々の広告を手がけ多数の広告賞を受賞する。現在、ライトパブリシテイCEO。

主な作品

「秋山晶 全仕事」(マドラ出版)
「秋山晶の仕事と周辺」(六耀社)
「A KA RI」(リトルモア)
「アメリカン マヨネーズシリーズ」(ビジネス社)

  • サッポロビールNEWSPAPER
    1971年

  • キャノン販売NEWSPAPER
    1978年

近藤 朔

近藤 朔Kondo Hajime

プロフィール

1923年、鳥取生まれ。1947年、慶應義塾大学法学部卒。同年、電通入社。その洋風で洒脱なキャラクターをコピーに結実し、キッコーマン、サッポロビール、モービル石油など、数々の広告を手がける。1958年、TCC前身のコピー十日会創立に参加。1962年TCC創立。1965年電通コピー局長就任。1979年から1984年まで、東京コピーライターズクラブ会長を務める。1985年、電通を退社。1990年、死去。

主な作品

  • 野田醤油NEWSPAPER
    1963年

  • 野田醤油NEWSPAPER
    1963年

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TCC HALL OF FAME 2009

天野 祐吉

天野 祐吉Amano Yukichi

プロフィール

1933年、東京生まれ。明治学院大学を中退後、創元社など出版社数社を経て、1961年博報堂入社。月刊誌「広告」の編集を担当。その後独立し、友人たちとプロダクション「マドラ」を設立。1979年4月「広告批評」を創刊、初代編集長を務める。1982年、広告学校を開校、全50期を通して、多くのコピーライターを育てる。朝日新聞「CM天気図」をはじめマスコミに数々の評論を執筆。2002年、松山市立子規記念博物館の館長に就任。2009年「広告批評」は4月号をもって終刊。

主な作品

「広告みたいな話」(新潮社)
「嘘八百!」(文藝春秋)
「見える見える」(筑摩書房)
「おかしみの社会学」(マドラ出版)
「広告論講義」(岩波書店)
「天野祐吉のことばの原っぱ」(まどか出版)
「私設広告五千年史」(新潮社)

  • マドラ1971年

  • マドラ出版1978年

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TCC HALL OF FAME 2008

新井 静一郎

新井 静一郎Arai Seiichiro

プロフィール

多くのコピーライターを育てることにより電通クリエイティブの基礎をつくった だけでなく、広告制作者に関する著作を次々に発表。中でも「コピーライター」 は60年にわたるコピーの系譜を記録して高く評価された。1907年、東京生まれ。 1932年、アドライターとして森永製菓入社。1941年、退社。 1947年、電通入 社。48日間にわたるアメリカ広告事情視察旅行のレポートが、日本の関係者に大 きな影響を与えた。宣伝技術局長、常務取締役を経て、 1969年、退社。1989 年、東京ADCより殿堂入りの表彰を受ける。1990年、死去。

主な作品

「アメリカ広告通信(復刻版)」ダヴィッド社
「ある広告人の記録」ダヴィッド社
「ある広告人の日記」ダヴィッド社
「ある広告人のエッセイ」ダヴィッド社
「コピーライター」誠文堂新光社
「広告をつくる技術者たち」美術出版社
「広告人からの手紙」誠文堂新光社
「グラフィックデザイナー」誠文堂新光社
「広告の中の自伝」マドラ出版

  • 森永製菓MAGAZINE
    1938年

  • 「コピーライター」誠文堂新光社
    1979年

山口 瞳

山口 瞳Yamaguchi Hitomi

プロフィール

人生の機微に触れる言葉でウイスキーを語り、広告コピーの新しい世界を開い た。特に成人式などの折の広告は、若い人々に対する厳しくも心優しいアドバイ スとして大きな影響を及ぼした。1926年、東京生まれ。1946年、作家・評論家が 教鞭をとる鎌倉アカデミーに入学。1954年、國學院大學卒業。河出書房で編集に 携わる。1958年、寿屋(現・サントリー)に入社。PR誌「洋酒天国」の編集のほ か、コピーライターとして広告も手がける。1963年、「江分利満氏の優雅な生 活」によって直木賞受賞。1995年、死去。

主な作品

「江分利満氏の優雅な生活」文藝春秋新社
「男性自身」新潮社
「小説・吉野秀雄先生」文藝春秋
「酒呑みの自己弁護」新潮社
「血族」文藝春秋
「居酒屋兆治」新潮社
「君等の人生に乾杯だ!」講談社

関連著書

「トリス広告25年史」サン・アド
「「洋酒天国」とその時代」筑摩書房
「山口瞳 江分利満氏の研究読本」河出書房新社

  • 寿屋NEWSPAPER
    1961年

  • サントリーNEWSPAPER
    1978年

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TCC HALL OF FAME 2006

須田 伸次郎

黒須田 伸次郎Kurosuda Shinjiro

プロフィール

1912年、東京生まれ。1934年、森永製菓入社。宣伝部の広告文案家として、キャラメルなど数多くの商品広告を担当。また、消費者を交響楽団の演奏会に招待する「プロムナード・コンサート」や、一般から歌詞を募集してレコード化する母の日キャンペーン「森永 母の日」など、日本にそれまでなかったPRイベントを手がける。1938年、森永製菓退社。1942年、招集されて戦地へ。戦後は博報堂顧問などを経て、1970年、広告技術研究所を設立。
広告学校校長を務める。2006年にTCCホールオブフェーム入り。TCC設立以前に広告界で大きな足跡を残した先駆的コピーライターのひとりであり、教育者として数多くの素晴らしい後進を育成した。
2010年4月25日に永眠。享年98歳。

主な作品

  • 森永製菓NEWSPAPER
    1934年

  • 森永製菓NEWSPAPER
    1937年

竹岡 美砂

竹岡 美砂Takeoka Misa

プロフィール

1916年、神戸生まれ。兵庫県立第二神戸高女・研究科を卒業後、ファッション・デザイナーとなる。1952年、アートディレクター竹岡リョウ一氏と結婚。1956年、夫と共にナショナル宣伝研究所を設立。日本ビクター、帝人、松下電器などの広告を手がけ、コピーを担当する。主婦の感覚が生きている表現は広く共感を呼び、数多くの賞を受賞した。この間、コピー制作に携わる一方、室町時代の「辻が花染」の継承者・久保田一竹氏に師事、友禅を学ぶ。現在は手描き友禅を教える傍ら、自宅アトリエで作品を創る。

主な作品

  • 松下電器NEWSPAPER
    1957年

  • 松下電器NEWSPAPER
    1960年

向 秀男

向 秀男Mukai Hideo

プロフィール

1923年、東京生まれ。日本麦酒を経て、1957年、ライトパブリシテイ入社。1970年、同社取締役副社長になる。この間、ブリヂストン、東レ、キャノン、シチズン、日本楽器、東陶、日産プリンス、ブラウンなど、話題となった広告を数多く手がけ、数多くの賞を受賞。日本を代表するアートディレクターの一人として理論と実践の両面で活躍する一方、コピーも担当した。また、東京アートディレクターズクラブ委員、美術大学講師を務める。1976年、ライトパブリシテイを退社、フリーランスとなる。1992年、東京アートディレクターズクラブのホール・オブ・フェイムに選ばれる。同年、死去。

主な作品

  • 東洋陶器NEWSPAPER
    1969年

  • 日産プリンスNEWSPAPER
    1972年

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TCC HALL OF FAME 2005

片岡 敏郎

片岡 敏郎Kataoka Toshiro

プロフィール

1882年、静岡県生まれ。日本電報通信社(現・電通)を経て、1914年、森永製菓入社。主力製品ミルクキャラメルの広告に才能を発揮して当時の広告界を驚かせた。1919年、寿屋(現・サントリー)へ広告部長として入社。赤玉ポートワインの広告が世の注目を集める。缶入歯磨スモカ発売と同時にユニークな小型広告を開始。1933年、新会社「寿毛加社」(現・スモカ歯磨)の役員として迎えられた後も、様々な画家をイラストレーターとして起用しつつ、長年にわたりスモカのコピーを書く。1945年、死去。

主な作品

東京コピーライターズクラブ編「広告エポックの人 片岡敏郎」誠文堂新光社
「片岡敏郎 スモカ広告全集」マドラ出版
大政千江「ちいさな喜びと日々-父からの贈りもの」三陸書房

  • 寿毛加社NEWSPAPER
    1941年

  • 寿屋NEWSPAPER
    1930年

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TCC HALL OF FAME 2004

上野 壮夫

上野 壮夫Ueno Sofu

プロフィール

1905年、茨城県生まれ。早稲田の露文科に学び、詩・評論などを発表。やがてプロレタリア文学活動に参加、治安維持法違反の容疑で逮捕、拘留される。 1945年の終戦後は、花王石鹸で広告のディレクター、コピーライターとして活躍。久保田宣伝研究所、武蔵野美術大学、日本デザイナー学院などで広告制作について講義する一方、日本広告技術協会、文部省国語審議会などの役職を引き受ける。1962年の東京コピーライターズクラブ創立以来、17年間にわたって会長を務める。その間、1966年に広告制作会社U.P.R(上野プランニングルーム)を設立。1979年、死去。

主な作品

エッセイ「老けてゆく革命」永田書房
詩集「黒の時代」栄光出版社

関連作品

堀江朋子「風の詩人―父上野壮夫とその時代」
朝日書林

  • 花王石鹸NEWSPAPER
    1952年

  • 花王石鹸NEWSPAPER
    1955年

  • 花王石鹸NEWSPAPER
    1957年

西尾 忠久

西尾 忠久Nishio Tadahisa

プロフィール

1930年、鳥取県生まれ。関西大学経済学部卒業。
三洋電機宣伝部を経て日本デザインセンターでコピーチーフとしてトヨタ自動車、平凡社『太陽』、野村証券などを担当。
『太陽』の創刊広告でその年のADC賞、朝日広告賞、毎日商業デザイン賞を受賞。アド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを設立し、富士銀行、河合楽器製作所、小学館など担当。
その間、米国のすぐれた広告を紹介するとともに、多摩美術大学で「広告コンセプト」を38年間講じた。
また、各地の文化センターで『鬼平犯科帳』を素材にした日本人の精神風土論を講じ、晩年はブログ『創造と環境』において、60~70年代のアメリカにおける広告作品やクリエイターのインタビューなどを精力的に公開していた。2012年、死去。
【創造と環境URL】 http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/

主な作品

「フォルクスワーゲンの広告キャンペーン」美術出版社
「効果的なコピー作法」「みごとなコピーライター」「劇的なコピーライター」いずれも誠文堂新光社
「ミステリー風味ロンドン案内1,2」「ベルギー風メグレ警視の料理」いずれも東京書籍
「江戸の中間管理職―長谷川平蔵」文春ネスコ
「剣客商売101の謎」新潮文庫など

  • 富士銀行NEWSPAPER
    1969年

  • 平凡社NEWSPAPER
    1963年

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TCC HALL OF FAME 2003

土屋 耕一

土屋 耕一Tsuchiya Koichi

プロフィール

1930年、東京生まれ。生家は写真館。少年時代を麻布で過ごす。1956年、資生堂宣伝部に入り、コピーライターとして仕事を始める。1960年、ライトパブリシティへ移り、同社企画部部長、副社長を経て1976年フリーランスとなり「土屋耕一の仕事場」を開く。デザイン主導の広告制作から、コピーライティングが主役へと時代が移り変わるなか、つねに先導的な役割を果たし、後の世代へきわめて大きな影響を与え続けた。
代表作に、「こんにちは土曜日くん。」(伊勢丹)、「なぜ年齢を聞くの。」(明治製菓)、「君のひとみは10000ボルト」(資生堂)、キッコーマン、東レの一連の仕事など。話し言葉のもつ特性を生かした軽妙洒脱なトーンと、大きなスタンスで世の中を動かす生活提案、そのいずれによっても土屋耕一にしか書けないオンリーワンの業績を残した歴史的なコピーライターである。1991年から1997年まで、TCC会長。1991年、日本宣伝賞・山名賞を受賞。2002年、東京ADCのホール・オブ・フェイム、2003年、TCCのホール・オブ・フェイムに選出される。主な著作に、新書「コピーライターの発想」、作品集「土屋耕一前仕事」、回文集「軽い機敏な子猫何匹いるか」など。2009年、死去。

主な作品

新書「コピーライターの発想」
作品集「土屋耕一全仕事」
回文集「軽い機敏な子猫何匹いるか」 随筆集「さも虎毛の三毛」
コラム集「生活愉快」
句集「臨月の桃」など

  • キッコーマンMAGAZINE
    1981年

  • キッコーマンMAGAZINE
    1981年

開高 健

開高 健Kaiko Takeshi

プロフィール

1930年、大阪生まれ。父は小学校教諭。1954年、寿屋(現・サントリー)に入社。トリスウイスキーなどのコピーを手がけるとともに、PR誌「洋酒天国」の編集に携わる。1958年、「裸の王様」で芥川賞を受賞。同年、寿屋を退社し嘱託となる。1960年、日本文学代表団の一員として訪中し毛沢東や周恩来と会見。1964年、サン・アド創立に伴い取締役に就任。1965年、ベトナム戦地取材中、解放戦線に包囲されるが死地を脱出。1968年、「輝ける闇」で毎日出版文化賞を受賞。1980年、サントリーのCMなどで各種広告賞を受賞。1987年、「耳の物語」で日本文学大賞を受賞。1989年、死去。

主な作品

「パニック」「日本三文オペラ」「ベトナム戦記」「フィッシュ・オン」
「ロマネコンティ一九三五年」 「最後の晩餐」「オーパ!」「もっと遠く!」「もっと広く!」など

  • 寿屋NEWSPAPER
    1961年

  • サントリーPOSTER
    1979年

梶 祐輔

梶 祐輔Kaji Yusuke

プロフィール

1931年、大阪生まれ。1955年、電通に入る。1959年、同社を退社し、フリーランスのコピーライターとして朝日麦酒などの仕事を担当。1960年、日本デザインセンターの創立に参加、アサヒビール、野村証券、トヨタ自動車など各社の広告づくりを手がける。そのほか、国鉄民営化にともなうJRマーク、新しいトヨタマークなど、CIのディレクションにおいても業績を残した。
朝日広告賞、毎日商業デザイン賞、日経広告賞、広告電通賞などを多数受賞し、2003年にTCCホール・オブ・フェーム入り。制作者に対しても、クライアントに対しても、つねに厳しい目で「効く広告とは何か」を問い続ける「広告界のご意見番的存在」であった。
2009年10月4日、肺がんにより逝去。享年78歳。

主な作品

「広告の創造性」誠文堂新光社
「生きているキャッチフレーズ全書」自由国民社
「広告は変わる、広告を変える」ダヴィッド社
「かくも雄弁なクルマたち」二玄社
「広告の迷走」宣伝会議など

  • 朝日麦酒NEWSPAPER
    1960年

  • トヨタ自動車NEWSPAPER
    1965年

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