リレーコラムについて

経ってしまいました

武藤雄一

鵜久森さんのご紹介で書くことになった武藤です。
よろしくお願いします。

僕がリレーコラムに登場するのは2回目です。
最初に書いたのは、2001年11月19日。
あれから、もう12年も経ってしまいました。
この12年の間になにがあったのか。
とても、たくさんのことがありました。
それは僕にとっては、ひとつひとつすべてが、
ものすごいことだけれど、
僕以外の人にとっては「あ、そうなの」と
感じるくらいの、とるに足らないことだと思います。

でも、まだ、こうやってコピーライターとして
仕事をできていることには、
喜びと驚きを感じています。

詩や、小説には自費出版があるけれど、
コピーライターは自分で勝手にクライアントを想定して
勝手に広告をつくることは、ほぼありません。

つまり、
どんなにコピーを書きたくても
企業の人か、広告代理店の人か、制作会社の人か…。
そういった誰かから「書いて」と頼まれない限り、
プロとしてのコピーを書くことはできないのです。

それを考えると、
商品、あるいは会社のコピーを書いてほしいと、
頼んでくれる人が、よく12年間もいてくれた。
と、つくづく思います。

「彼は、音楽に選ばれた人なんだ」
アーティストのことを、そんなふうに言うことがありますが、
コピーの世界にも、きっとこの人はコピーに選ばれたんだろう、
と思われるような方がいます。

で、僕は、断言します。
僕はコピーに選ばれた人間ではなく、
コピーを選んだ人間です。
どうしてもコピーライターになりたかった人間です。
それは、コピーライターになれないかもしれない、
というもうひとつの恐ろしい現実がいつもあった状態です。
だから、そんな人間からしてみると、
今もフツーにコピーを書かかせてもらっているこの環境に、
やはり、感謝してしまいます。

「自分の書いたコピーが、初めて世の中に出た時のことを思い出せ」
昔、居酒屋でコピーライターを辞めると言っていた仲間に、
話したことを思い出しました。

どうしてもコピーライターになりたかったんだろっ。
今、そんな思いでコピーを書いているのか。

あの頃の自分が、今の僕に言っているような気がします。
12年ぶりのリレーコラムは、
ふと、そんなことを思わせてくれました。

そして、12年後、僕は何をしているのか。
コピーを書けているのか。
想像すると恐いです。
でも、コピーを書いていたいです。

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