リレーコラムについて

オリンピック選手と丘サーファー

安田健一

Eさんは、ヨットマン。

僕は高校時代ヨット部に所属していました。

体験入部で、まだ正式に入部を決めていない僕に

「やすだは、昨日よりうまくなってるよ」と、嬉しい言葉。

面をはずした坊主頭を、竹刀でたたかれていた

剣道部時代と比べ、なんてやさしいお言葉。

ヨット部ならば、素敵な高校ライフが送れると確信しました。

舞い上がった僕は入部を決めます。

・・・褒められたのは、それが最初で最後でした。

入部してみると、僕以外は全国の中学からヨット推薦で

入学した経験者ばかり。

特にEさんは、アジアジュニア・チャンピオンでした。

ある日、新艇(新品の船)が入荷され、

Eさんが全員に向かって

「明日この船乗りたい奴いるか?」

と言いました。僕は新しいおもちゃを喜ぶ

幼児のように大きく手をあげましたが、

手を挙げたのは僕一人。

その時は、なぜ他の部員が手を上げないのか

わからなかったので、

「せっかくの新艇なのに。アホかい?君たち♪」

と同級生に言い放ち、小躍りしてました。

次の日から、僕はアジアチャンプのEさんのパートナーに

なりました。

自動的に僕の練習は、怒涛の地獄メニュー。

・・・アホは僕でした。

僕はEさんの指示を受け取るだけで精いっぱいの日々。

しかし、超一流の虎の威をかりてたら、その気になってきました。

前日までのコラムにもあるように、僕はその気になりやすい性質です。

他人にも乗せられやすいし、

勘違いして自分で勝手にその気になることも多い。

そして「一位、トップ」というポジションだけが味わう、貴重な体験をしました。

「反則」を仕掛けられるのです。

他校の低学年チームが、失格覚悟で、故意に衝突してきます。当たり屋です。

「何が何でも勝つ」ってこれかと。スポーツマンシップはそこには存在しません。

その後、Eさんの活躍でインターハイ優勝。

僕は大学進学、就職活動へとすすむわけですが、

面接官は色白の僕を、「ヨット経験者を名乗る丘サーファー」

のような扱い。

その後、Eさんはアテネオリンピックで銅メダル!

日本ヨット史上最高のオリンピック記録です。

ちょっと前の話ですが、おめでとうございますEさん。

僕は丘サーファー扱いをうけましたが、

広告の世界でオリンピック的な、

何かそれっぽい素敵な高みを目指します。

そんな楽しく厳しい方々のおかげで

今日の僕がいるのです。日頃お世話になってる
方々にはこれから仕事でご恩返ししていきます。

さーて、来週のサザエさ 、リレーコラムは!

今年、最高新人賞を受賞した

電通の藤本 宗将さんです!

ベルリッツの広告、面白いです!大好きです!

授賞式のあと、夜中の2時に

ピザをほおばる姿も最高でした。

コラムも楽しみです!!

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