リレーコラムについて

関西と中部のCMの話

中尾孝年

エエ感じで調子が出てきました。
コピーの話をしたら、次はCMの話やろ。
そんな、みなさんの期待に応えます!
期待を裏切るのも、期待に応えるのもクリエーティブには重要やしね。

と言う訳で
今回は、関西と中部のCMの話です。

コピーのコラムでも書きましたが
関西のクリエーティブは超話し言葉の文化です。
その典型がCMやと僕は感じています。
いわゆる関西弁会話もんCMですね。

あの有名なキンチョウ組のみなさんも
関西弁会話もんの名作を沢山のこしてはりますね。
と言うより、この原型を築きあげたのが彼らですよね。
そらもう伝統芸能の領域やと僕は思います。

でもね、だからこそ僕は言いたいことがあるんです。
ついこのあいだまで関西を外側から見ていたクリエーターとして。

関西の伝統とも言える関西弁会話ものって
もう全国ではウンザリされてますよね?
広告賞の審査とかに携わる機会とかも増えてきて
よりいっそう強く感じます。
「わっ、また関西弁の会話もの」
みたいな空気が流れる瞬間があるのを。

伝統を継承することも大切。
でもクリエーティブなら、伝統を破壊することも大切やと思うんです。
このまま関西のみんなが偉大なキンチョウ組のマネごとをしてたら
関西のクリエーティブはダメになる。

にもかかわらず、関西ではキンチョウ組と言えば何でも素晴らしい。
えっ、君はあの素晴らしさがわからへんの?
みたいな風潮がある。
日本の広告界も同じ。
腹の底ではマンネリやな〜とか思ってるくせに
公の場では、私たち東京の人間にはあの表現は創れません。
って、ちやほやする。

だから、後輩のコラムでも書いたけど
若い奴らがマネごとみたいなクリエーティブをやたら創る。

でも本家のキンチョウ組の方々は
ベタほめの風潮に流されることなく常に自己懐疑の姿勢でいてはるんです。
もっと言うと、このマンネリ現象にも気づいてて
偉大な伝統を継承しながらも
新しい試み、ニューキンチョースタイルに挑戦してはると
僕は一方的に感じてます。
だからこそ、恐ろしい集団なんですけどね。

一番ヤバイのは
その変化に気づくことなく
若い世代がオールドキンチョウスタイルをお手本にしていること。

10年以上前のCMなんてお手本にできるか!
的な鼻息の荒さとか
新しい関西クリエーティブを俺が創ったる!
みたいな意気込みを感じないこと。

関西クリエーティブの更なる発展、健全な成長のためには
もう一つの新しい関西クリエーティブがキンチョウ組を慌てさせるぐらい
活発にならんとアカン。

って独りでムキになってます。

独りって書いたけど
東京にいっちゃった先輩の松村さんとかは
伝統的な関西とは違う新しいチャレンジをしてる人やな〜って
思ってたんですけどね。
あっそうや
「松村さん関西に帰ってきて僕と一緒に新しいことしませんか?」
ってコラムでこんなお誘いをしたらあきませんね。
そう、TCC同期の鈴木契にも同じ意気込みを感じてます。
契、やるぞ!  新しい関西を創るぞ!!
(お二人さん勝手に名前を出してごめんなさい)

逆に中部CMは?
伝統もくそもないです。

まったくお手本が無い中で各自ががむしゃらに創ってましたから。

でもここからが一番大事な時期とちゃうかな。
中部が、名古屋が今オモロイ。みたいに言われ始めたけど
ブームで終わるか本物になるかの過渡期やと思います。

声のデカイ、うっとしい先輩達。
言うたら名古屋の第一世代が全国にちって行った今こそ
次の世代が自分たちのカラーを爆発させる時やと。

伝統もくそもない。
各クリエーターが個性を爆発させてる自由なクリエーティブ。
それが中部の伝統になったらエエのにな。
聞いてるか岡部!
(また、勝手に名前を出してごめんなさい)

なんて他人の心配してる場合ではありませんでした。
実績抜群の関西の偉大な伝統に風穴を開けるべく
もっと、もっと、僕は努力せなアカンのです。

とか言いながら
夜中まで会社の仲間とテレビゲームやったりしてるのも僕です。

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