リレーコラムについて

明石町SLタワー日誌(その1)

中山幸雄

明石町の月曜日は9時30分のCD会ではじまる。
スタッフはフレックスタイムだから、
新入社員以外は当然のように来ていない。
CDの仕事は偉大なるクリエーティブを産み出す
ことそれだけだが、近頃はバリアが多い。
コンピュータ管理になった勤務システムや、
Y2K問題や、週末エアコンのフィルターを交換
するため窓際の荷物を片づけることまで
手早く処理していかないと本来の仕事に
行き着けない。
まぁ、偉大なるクリエーティブを
産み出す苦しみに比べればどうってことない、
と思っている方が精神衛生上好ましいが。

さて。
下水管から復活した後、台北の国際広告賞
の審査をしていた。「中國時報」という台湾最大
の新聞社がスポンサーになっていて、
今年で第10回、つまり10年目になる。
台湾は「ふたつの中国」問題やらで
国際的に微妙な立場に立たされており、
広告クリエーティブの世界でも
国外に窓を開け、ネットワークを創って
おこうという知恵が働いたのかもしれない。
以上は僕の推測に過ぎないが。

日本には、国際広告賞は一つもない。
海外からエントリーを集め、
日本人以外のCDを審査員とし
賞を決定し、世界に発信する。
そういう機能を持つ国際広告賞はないのだ。
それを思うと、政治や経済の世界で
たびたび問題にされる閉鎖性とも
なにやら似ているなと思ったりする。

エントリーの中身で言うと、
今年はアジア・パシフィック18ヶ国から
1068点の応募があった。
カンヌの1/10と思えばよい。
内訳はテレビCM402点、印刷広告664点。
ただし印刷広告はシリーズが圧倒的に多いから
全部で2000点は見た勘定になるだろうか。
今年から審査方法が変わって、
一次は9名のCDがそれぞれの国で
ビデオ、スライドを見て採点する。
60から90までの間でつける。
そのスコアを集計して、
来年1月、台北に全員が集まって、
二次審査・グランプリ審査、
パネル・ディスカッションをすることに
なっている。

一日分の仕事を終えたあと、
会議室に一人こもって
一点ずつ審査する姿はかなり地味である。
審査というのは、いずれにせよ地味で
根気の要るものに間違いないのだ。
日本の優れた仕事は印象に残るが、
自分のエージェンシーの仕事は採点できない
のがルール。これは、いつもそう。
テレビCMはタイ、台湾、香港に
いいものがあり、
印刷広告はシンガポール、香港。
近頃はアジア人のCDがチームを率いる
ケースも増えてきた。
ときどき凄い才能に
出会うことがある。

結局一次審査はのべ3日間、
10時間では終わらなかった。
アシスタントの小澤さんに頼んで
台北にDHLで送ってもらったのだが、
めったにミスをしない小澤さんが
控えのコピーを取るのをうっかり忘れて
DHLに出してしまった。
いやぁ、ちゃんと海を渡って
事務局に届いているかなぁ。
僕は、ちょっとばかり不安になって、
「途中で荷物がなくなったりしないかどうか、
DHLに訊いてみて」と小澤さんにお願いした。
しかし、冷静になって考えてみると、
荷物をきちんと運ぶことをなりわいと
している会社に、「きちんと届くんでしょう
か」と確認するのは、ずいぶん失礼な
話だ。
その瞬間、僕の頭の中では、
もう10時間、会議室で同じ作業をしている
自分の姿が浮かんでしまっていたのだ。

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