リレーコラムについて

「猫の手」と「猫の目」

中山幸雄

シニア契約社員になって、「猫の手」を始めた。
グローバル・クリエーティブよろず相談コンビニだ。
もちろん社の公式な組織ではない。
定年退職・再雇用後の自分のリブランディングのために、
会社の38階デスクでひとりで始めた。
トヨタのこども店長の向こうを張って、シニア店長だ。
こちらは店員ゼロの零細コンビニだから、
こども店長の方がずっとエライ。

まず用意したのが「猫の手受注シート」。
いつどなたからどんな相談があって、
どんなふうにお応えしたか。
ジョブナンバーとともにエクセルにまとめておく。
備忘録になるとともに
年末に上司と面談するときの記録でもある。
実績が認められれば賞与がいただけるのだ。

僕の働く部署にはクリエーティブ・スタッフはいない。
クリエーティブに少しでも関連すると思われる(誤解される)
大小さまざまな相談が飛び込んでくる。
自分の力に限界があることは自覚しているから
社内外、国内外の友人知人の知恵・能力・時間をその都度借りる。

中には、僕の力を過大評価したのか、
とても手に負えない相談も時々ある。
そんなときは
「しょせん猫の手ですから、それは無理ですね。
 申し訳ないけど、他の方にご相談ください」
と率直にお断りする。
やれることはやるし、できないことはできない。
その線引きを相談者と共有するために
「猫の手」のネーミングはとても便利だ。
家事にいそしむ僕を横目に
いたずらし、昼寝する愛猫・大王の姿を見て
ふと思いついたブランド名なのだ。

「猫の手」の日々の活動を支えるのが「猫の目家計簿」。
「これまでの年俸と比較してはいけません」
と人事担当者にはきつく注意されたが、
ここだけの話、年俸83%ダウンである。
83%に下がったのではないよ。83%下がったのだ。
メジャーの高額オファーを蹴って
広島東洋カープに復帰した黒田博樹投手なら男気だ。
中山幸雄の場合にも男気があてはまるかどうか、微妙ではある。

隠居して半径300mを棲息圏にしてひっそり暮らすのなら
それでもなんとかなるかもしれない。
シニア契約社員とは言え、勤務先は電通である。
広告の仕事には見栄も要る。
ホイチョイ・プロダクションにも
時にはネタを差し上げたい。
社会に元気、活気を生み出すのが僕たちの仕事だ。
必要なときはやせ我慢で見栄も張りながら、
内情は慎ましく暮らす。
果たしてそんなことが可能なんだろうか、
というのがいまの僕の挑戦なのである。

幸い、クライアントの課題解決を
クリエーティブに行うことが生業だ。
MBAも社の費用で取らせてもらったから、
以前よりは分析力や統合力も備わった(と思いたい)。
そうした能力、知識を
個人生活にもフル活用するときが来たと思うことにした。

そのためには一にも二にもデータ収集と活用である。
日々の金銭の動きを「猫の目家計簿」で細かく管理することにした。
これで一年、春夏秋冬回してみれば、
どこにムダがあり、どこを節約できるかが分かる。
同時に現役で働き続けるために、
どこへ投資するか(貯蓄や資産運用の話でなく自分に対して)
明快になってくる。

家計を日々切り盛りする主婦・主夫からすれば
節約に関してはとっくにやっていることばかりだろうとは思う。
けれども自分に投資しながら現役生活を、
それも電通のような情報産業で生きることを同時にやるのは
めったにない挑戦ではないかと思う。
事実、僕のまわりにロールモデルはいなかった。
誰もやっていない初めての挑戦と言うのは、
内容はどうあれワクワクするものだ。

例えば、僕はNew York Times電子版を
2013年から購読している。
すべてのデジタル機器からアクセスできる契約で
4週間単位で35ドル支払ってきた。
調べてみると、タブレットからのアクセスを止めるだけで
4週15ドルに減額可能、つまり20ドルの節約になる。
年間では250ドル(=約30,000円)助かる。

電子版英字紙の購読そのものが
シニア契約社員には贅沢ではないかとの意見もあろうが、
ひとまずこれは「投資」と考える。
無料アクセスだと一ヶ月で読める記事は10本に限られる。
New York Timesはデジタル時代に新聞がどうサバイバルできるか、
世界でもっとも意欲的な試みをしている。

例えば、有料購読者が1851年の創刊以来
すべての記事を検索して利用できるようにアーカイブを整えている。
この点はWikipedia、Britannicaでも敵わない。
ニュースのまとめサイトではたどり着けない、
伝統ある新聞社のみができる本質のサービスだ。
英文で論文、エッセイを書こうとすると
事実、データの裏付けをきちんと記さないと相手にされない。
そんなときとても重宝することを
ジャーナリストたちに教えてもらって購読を始めた。

契約を変更したいと英文メールを書いて担当者に送ったら、
新契約の最初の4週間を再び試読扱いとして無料にしてくれた。
粋なはからいだ。
そうやって再契約すると、以前より熱心に読む。
一月に10本しか記事を読まないなら、
購読を中止して無料で読めば充分ということになる。
それは悔しい。
こうした支出のひとつひとつがリアルになることが、
収入が減ったことに対する報酬である、と僕は思う。

しかし、「猫の目家計簿」によれば
最初の一月は大幅な赤字となった。
人生、甘くない。
猫の目をキョロキョロ動かして賢く倹約して暮らし、
猫の手で少しでも人のお役に立ちたいニャアと
日々奮闘しているところだ。

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