リレーコラムについて

忙しい話

中山佐知子

私はいま忙しい。仕事ではない。
仕事で忙しいのは今に始まったことではないから平気だが
プライベートで忙しいのはホトホト身に応える。
いま引っ越し先の家がリフォーム中なのだ。

なぜそういうことになったかについては長い話がある。
まず、この夏の始めに友人が肺癌を宣告された。癌は大きく
なかなか危険な場所にあった。
もし万が一ひょっとするようなことがあったら、身内に縁の薄い
人ではあるし、しばらくの間でも一緒に住もうと思ってしまった。
それにはまず引っ越しである。彼女の部屋がいる。

そういうアホタレな考えで思わず買う気もなかった家を買った。
その家は中2階に独立した四畳半があり、
そこに友人を置いておけると思ったのだ。

家を買うのはタイヘンだった。山ほどのお金と山ほどの書類と
実印がいる。私は実印なんぞ持ってなかったから
まず実印登録からはじめた。お金は銀行から借りたが、
私の銀行印がシャチハタだとバレてしまった。
さらに私の返済を保証するのは私の会社だが、
うちの社長は去年の決算報告書を紛失していた。
よくこれで銀行が金を貸したものだ。

夏から秋にかけてスッタモンダして、やっと家を買った。
言っておくが築28年のボロ家である。
当然リフォーム問題が発生した。大工の棟梁がやってきた。
棟梁は青森出身だった。私は根が関西人なので棟梁の言語が
さっぱりわからない。よーとかべーとかの語尾しかわからない。
フランス語を聞いているような心地がした。
しかしヒアリングの能力というのは向上するとみえて
何度か会ううちに聞き取れるようになった。
「地震も近いっちゅうのによぉ、こんな古家に金かけて
 住もうっちゅう人の気イが知れねえだよぉ
 おらぁ気ィの毒で気の毒でよぉ・・・」
棟梁はさかんにこういうことを言っていたのだった。

さて、リフォームといってもハンパではない。まず屋根と床と壁を
直さないといけない。私は家の基本は屋根と床と壁だと
思っていたので、要は全滅なわけねと面白がっていたら
「風呂場以外は土台と骨組みは大丈夫だよぉ」と
棟梁がフランス語で言った。
さらにリフォームというのは新築より面倒だった。
先住民族の遺産を撤去するかそのまま使うかの判断が
微に入り細に入り求められる。新しくするものに関しては
いちいち選択するという作業になる。
うっかりしていると妙にファンシーなドアの写真を
見せられたりする。フランス語の棟梁の趣味なのだろうか。
しかたがないのでドアのカタログというものを借りてきた。
ドアは高い。いいかげんなドアのくせに
1枚12万とか13万とか値段がついている。
どうも私の手取りの給料ではドア3枚しか買えないようだ。
ひと月働いてドア3枚のくせに家を一軒まるごと買った自分が
つくづく恐ろしいと思ったし、私の尻馬に乗ったおっさんも
軽薄な奴だと感動した。

今朝は電気屋から電話があった。
「ダウンライトを残しますか、撤去しますか」
私はダウンライトの意味もしらない。
昨日はおっさんからメールが来た。
「庭の物置きの底が傷んでいると棟梁がいってます。
 この際借金を重ねてもちゃんとしといた方が・・・」
おい、こら!物置きの床が抜けているくらいで借金してどうする。
床は家だって抜けている。せめて家の床くらいの口実がないと
物置きの床で借金するのは恥さらしである。
我々が貧乏なのはたいていの人にバレているかもしれないが
物置きの床で借金をしたと言われるのは厭だ。

ともかく、万事この調子で運んでいる。だから私は忙しい。
うっかり目を離すと、棟梁はファンシーなドアをつける。
おっさんは物置きで金を借りる。
ところで、この忙しさの原因となった友人はどうしたかというと
入院したかと思うとさっさと手術を済ませ、
画期的な早さで退院してピンピンしている。
私だけがこのドツボに取り残され、2月の引っ越しまで
生き永らえるかどうかもわからない有り様なのである。

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