リレーコラムについて

残された時間

斉藤賢司

きょう奇妙なものを見た。
出社途中、山手線の中でのこと。エアポケットのような時間帯だったのか
めずらしくすいていて、僕は席に座っていた。
向かいには、私立の小学校に通っているのだろう、可愛らしい制服姿の男の子。
なんだか目元がやけに涼しげで、眉なんか綺麗に手入れされている。
(いまどきのお母さんは、きっとそういうことをするんだろう)
8歳か9歳くらいだろうか。上品な感じの子。
へえ可愛らしいなと見ていると、ふと、
その子の左手の手首に何か文字が書いてあるのに気づいた。
一文字。袖口で見え隠れしていたけれど、それは確かにこう書いてあった。

刺青ではなかったと思うんだけど、でも一瞬刺青かと本気で思うような
妙な生々しさがある文字だった。(誇張ではなく)
えっ?と思ってあらためてその子を見ても、座席にちんまりと、上品に、
あくまで身だしなみよく腰掛けている。
「いじめ」?「心の闇」? まさか親が書いてたりして???
と想像力が勝手に週刊誌の世界へ暴走しかけたのだけど、
すぐちょっと待てよ、と思いなおした。
その子のことは分からないけど、すくなくとも僕はこどものころ、
死ぬとか殺すとか、そういうものに惹かれるところがあったように思う。
惹かれるなんていうほど大袈裟なものじゃなく、
そういう言葉を使って喜ぶところがあったというか。
ノートに意味もなく「死」とか落書きしたりして。(暗かったのか、俺?)
でもそういうのって、なんとなくみんなあるものじゃないかと思うんだけど、
どうなんだろう。

*****

最近、自分に残された時間のことをよく考える。
(先を生きる人たちにその自意識過剰を笑われそうだけど、
 ほんとなんだからしょうがない)
僕はいま33歳。この感覚は、30歳を過ぎた頃から始まったように思う。
中学生の頃、国語の授業で吉田兼好の「徒然草」というのを
みんなやったと思うんだけど、あれに
「60を過ぎても生きているのは見苦しいことだ」
というようなことが書いてあったのを強く覚えている。
オッサンいいこと言うじゃん、と当時思ったから。
で、自意識のカタマリだった僕は勝手に
「俺の人生は60までだときめよう」と考えた。
それまでに不慮の事故とか病気で死んでしまったらアンラッキー。
それより長生きできたらオマケと思ってその先は遊び呆けよう、と。

30歳になったとき、ああ、60歳の半分だな、と思った。
自意識過剰の中学生が思ったように人生が60までなら、
もう、来た道より残された時間のほうが短いんだ、と。
コピーを書いていて、夜中にものすごい焦燥感に襲われることがある。
この1行は意味のあることを書いているのか、と。
この1行は他人の生きる貴重な時間や、
社会と呼ばれるものと深くつながっていくものをもっているのか、と。
ただ、「人間は生れ落ちた瞬間から死にむかって生きつづけていく」
と言った人がいたけれど、
死に追いたてられて言葉をうみつづけているというか、
死に向かって言葉を吐きつづけている自分の姿というのは、
想像するとそれはそれで悪くないような気もする。
インチキな戯曲みたいで。

ただまあ、その死に向かって吐く言葉が、
心を鼓舞する言葉なのか、泣き言なのかはわからないけれど。

(なんだか今日はヘンな話になってしまいました)

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