リレーコラムについて

ダンスする言葉

斉藤賢司

ダンスをよく観る。
ジャズとかヒップホップとか、その手のものじゃない。
バレエも(フランクフルトバレエ団を除いて)無縁だ。
モダン、コンテンポラリー、そして、舞踏。
「どう動くか」より、「どう在るか」に惹かれている自分に気づく。

大野一雄という舞踏家がいる。
96歳で、現役の舞踏家。
立てない。もはや車椅子だ。それでも舞台に上がる。
踊りに憑かれてしまったような人だ。
ハタチ過ぎの頃、初めてこの人を見た。
揺らいで、痙攣して、そして祈っているようだった。
バレエ的な美しさを求めたら、「醜悪」ととられかねないだろう。
面識なんかないけれど、舞台を見れば分かる。
この人は死ぬまで踊る。

岩名雅記というダンサーがいる。
余分なものをすべて削ぎ落とした細身の、
ムチのような身体で、ただ立つ。全裸で、つま先の、さらに端で。
数十分が過ぎ、鍛えた脚もやがて痙攣し始め、
それでも立ちつづけ、1時間を超えた頃、
ついに身体を支えきれなくなって倒れる。
足はピクピクと痙攣している。そんな舞台をやる人だ。

ありていに言って、万人に勧められるものではない。
(ホントに勧めません)
当然こんな疑問が湧くだろう。
「それってダンスなの?」

僕はこう思う。
ダンスとは、体の描く軌跡のことではなく、
身体で本質をわしづかみにすることだと。
ピナ・バウシュ、マース・カニングハム、
上杉貢代、山田せつ子、
勅使川原三郎、岩下徹、笠井叡、
黒沢美香、ユン・ミョンフィ…。
僕の好きなダンサー、コレオグラファーは、
動くというだけでなく、
在るということをさまざまな形で
リアルに、深く、つきつけてくる。
わしずかみの本質を。

ダンスする言葉、というものがもしあるなら、
それはきらびやかなフレーズやうまい言いまわしではなく、
じつは、野蛮な覚悟で書かれた言葉なんじゃないかと思う。
照れや、怯えや、飾りに追いつかれることなく。
本質を、わしづかみしてやりたい。

初めて観た舞台で、
大野一雄は踊ったあと這うようにひれ伏し、
荒れた床に接吻していたと、なぜか今、思い出した。

*****

1週間ありがとうございました。
僕の文章は長すぎますね。
読み返してあまりにも独りよがりで、反省してしまいました。
あと、暗かった。

来週は高田豊造さんです。
いつもニコニコしている人です。
人柄通りの、やさしい文章を書いてくれるのではないかと思います。

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