リレーコラムについて

取材について。

川村聡

みなさん、こんにちは。カワムラ広告制作所の川村です。

最近よく取材に出かけることがあります。
企業広告をつくる時などは、やはりその企業へ足を運んで
見て、聞いて、匂いをかがねばと思うのです。
往々にして、社名から想像していたのとは全く違った
意外な事実が、そこにはあったりします。
そんな企業の本質みたいなものを嗅ぎとろうとしているのに、
その会社の人が邪魔したりするんですよ。
いえいえ、正確に言えば
「カッコいいところを見て、そこを広告にアピールしてくださいよ。せっかくですから。」というスタンスで接してくるのです。
悪気はないんですけど、ねぇ。
閉口することもしばしばです。

以前、ある企業へ取材に出かけました。
ほんとうは仕事の現場の人に、こみ入った話をお聞きする予定であったのです。
が、その企業の担当者が
「川村さん、今日ちょうど社長がおりますんで、どうせなら社長の話を聞いてくれませんか。そっちの方が話も早いですし。」と
勝手に予定を変更してきました。
社長のこむずかしい話なんか聞きたかねーから、やめてくんないかなぁ、なんて言えるわけもなく、心の中で舌打ちしつつも担当者の立場などを憂慮して
「それはそれは、ゼヒ」などと揉み手で快諾してしまう私。
で、社長の独演会を聞くハメになってしまうのでした。

予想していたとおり、社長の口からは現場のスリリングなエピソードなんぞは出るわけもなく、
「そもそも、わが社は〜」的な話(本人は気づいていませんが、9割がた自慢話になっています)が延々と続きます。
やれやれ参ったな、などという態度はおくびにも出しません。それどころか、身をのりだして社長の話に聞き入っている体制をとってしまう私。(悲しい性です)
話を聞いてしまった以上、広告に反映させないわけにもいかんだろーなー、と憂鬱な気持ちで長い長い時間を耐えます。
頃合を見計らって「ありがとうございました。いいお話を聞かせていただきました。では、次に撮影がありますので、そろそろ‥‥」と席を立とうとすると、
「撮影?写真か。だったらいいのがあるから、それを使ってみたらどうだ。おい、キミ。こないだの写真をもってきてくれたまへ。」と社長はやる気まんまんで仕切り続けるのでした。
出てきた写真は、おいおい待てよ、というテケテケのスナップ写真だったりするわけです。
こんなの使えねーよ、そもそも右下に日付が入ってんじゃん、とっととしまっておくれ‥‥なんて口が裂けても言えません。
「いやー、いい写真ですが、ちょっと一般的には分かりずらいかもしれませんねぇ。いやいや惜しい。」などとワケの分からぬコメントを残し、ペコペコしながらの後ろ歩きでなんとかその場を退散。ふー、やれやれ。
実はこんなことは日常茶飯事だったりします。

やはり、ベースにあるのは企業の「よく思われたい。」という願望なのですね。
分かります、分かります。誰しも悪く思われたくないですから。
一般の人だって、他人に写真を撮ってもらう時とかに
「カッコよく撮ってね」なんて言いながら、自分の中で一番いい表情を無理に続けようとするでしょ。
あれと同じです。

でもね。違うんですよ。カッコつけてもだめなんです。
情報の受け手は、広告を見る人たちは、ちゃんと見すかしてしまうんです。もしくは、見ても何も思わないんです。
誰しも他人の自慢話なんて聞きたくないでしょ。
広告ってのは見て、読んで、何かを思って、で、アクションをおこしてもらわねば、意味がないのです。
自慢したい気持ちをぐっとこらえて、
つくらねばなりません。

で、私はどうしたかというと、
その企業にとってこっ恥ずかしいような情報を広告の入り口へもってきたわけです。
他人の自慢話には抵抗をしめす人も、失敗談とかには無抵抗です。あとは、「でもこの企業、頑張ってるじゃん」と思わせる構成にしてあげればオッケー。

よしよし、我ながらよい出来だ、とアップした広告を先方にプレゼンすると、
「何だこれは。ウチの優位性を全然アピールしていないぢゃないか」と全ボツになったりします。
広告としてどんなに優れていたとしても、私がどんなに苦労してつくりあげても、ボツはボツ。

ま、これもよくある話です。

思い出したら目頭が熱くなってきたので、また明日。

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