リレーコラムについて

ひとりぼっちたちの集まり

倉光徹治

 原子力安全保安院の記者会見を民放のテレビ局が途中でスタジオに中継を戻
してしまうので、度々ニコニコ動画で記者会見のすべてを見ていた。話の本筋
は記者会見についてではない。民放の報道姿勢についででもない。

 ニコニコ動画のページに「一般」といったカテゴリがピックアップされてお
り、何気なくクリックしてみて驚いた。完全な素人が生中継をしていたからだ。
分かりますかね。PCについているテレビ電話会議に使うような自分撮りのム
ービーカメラを使って、自分の部屋から生中継状態の素人。

 生中継というのもまた、何か番組のような体裁があってそれを放送している
というよりは、雑談。完全な雑談。いや、雑談にもなっていない、雑談。なぜ
ならば話し相手は、自分のPCの画面で、PCの画面に映っている自分の放送し
ている画面を横切る「その放送を見ている人々の他愛もないコメント」に受け
答えをしている状態なのだ。見た目には独り言を言っているようにしか見えな
い。

 画面を横切る文字は「どこに住んでいるの?」「何歳ですか?」とか、そうい
ったことで、繰り返しになるが、その質問に答えているのは完全な素人。学生
とか主婦とか社会人とかさまざまで、見た目は普通の、どこにでもいるような
人。

 その内容が、つまらない。驚くほどつまらない。だって本当にどうでもいい
ことをしゃべっているわけだからおもしろいわけがない。だが、それが不思議
なことにおもしろいのだ。矛盾しているようだが。言ってみれば、つまらなす
ぎて、おもしろい。

 一番興味を引くのは、この人はなぜこんな放送をしていて、なぜこの放送を
見ている人がいるのかということ。(どんなにつまらなくても視聴者が20人は
いる)そして、なぜ、僕はこの放送を見ているのか、ということ。

 きっとこのシステムがなかったら全く出会うはずのない見ず知らずの人のど
うでもいい部分を覗きみることができるからなんだろうな。それはどう考えて
もマスメディアには載らない。ドキュメンタリー映画にもならない部分。イン
ターネットを扱い始めた頃に一般人のブログを読んだ時のあの感じ。

 へえ、こんなことで悩むんだ、やっぱりね。とか。ああ、そんなことあるよ
ね、あるある。とか。…あれ、それって共感ってやつですかね。

 考えてみれば人に何かを伝えたいときって、たいていひとりぼっちの時で、
そんな気分はプロの表現者じゃなくても誰でも持っている。そのニコニコ動画
を放送している素人もコメントを書き込んでいる人たちもみんなひとりぼっち
でPCに向かっているわけで。ひとりぼっちたちが集まってひとりぼっちを回
避している。そして、僕も。その状態は、誤解を恐れずに言えば、すこし愛お
しく、心地がいい。

 そう考えてみると本当にひとりぼっちの状態って減ったよな、とも思う。す
ぐにつぶやいたり、書き込んだり、メールしたり、電話したり、放送までしち
ゃって。すぐに回避できる。

 昔の哲学者や文豪も今のツールがあったら、大作の哲学書も小説も書かなか
ったかもしれない。そういった表現物は深い深いひとりぼっちから生まれるも
のだ。ニコニコ動画の雑談やSNSで回避してしまうと書けないだろう。

 なんて仮定してみたが、ショーペンハウアーのつぶやきとかやっぱり難解そ
うだな。めんどくさいよ、お前。とか言われちゃったりして。

 そんな方々はやはり執筆ですね。大作を。ひとりぼっちの状態を追求するこ
とも、ある人々にとっては大事なんだな、やっぱり。ってことで。

NO
年月日
名前
5692 2024.04.21 長谷川輝波 言葉オブザイヤー@ヘラルボニー
5691 2024.04.20 長谷川輝波 言葉オブザイヤー@韓国の街中
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