リレーコラムについて

意味の分からないものについて

倉光徹治

 ジャン=リュック・ゴダールに出会ったのは高校生の頃で、そのころの僕は
福岡から久留米に電車通学をする典型的な地方都市の学生だった。御多分に漏
れずちょっと洒落た昔のフランス映画を観始めるような年頃で、VHSをレンタ
ルビデオ屋から借りて観るのだけれど、ゴダールとの出会いは、ずば抜けて衝
撃だった。なんて書くと映画に精通した生意気な高校生と思われるかもしれな
いが、そんな大層な意味での衝撃ではない。もっと、シンプルに。

 「…なにこれ、意味分かんねえ」

まず、監督の名前が衝撃。ゴダールって。それが、名前?どこの国の人?そし
て、邦題が衝撃。何、『ゴダールの決別』って?他の人の『決別』もあるの?そ
んなレベルである。

 内容なんてもちろんまったく分からない。いつの間にか終わっているか。寝
てしまっているか、のどちらかだった。レンタル料の出費だって高校生にとっ
ては、痛かった。

 その頃はもちろんインターネットも携帯電話もなかったので、検索などでき
ないから、本屋でゴダールに関する本を読む。もちろん立ち読みで(高いのだ、
また値段が)。すると、本屋でまた愕然とした。

 あらゆる本が、ゴダールを絶賛。大絶賛。

 しかも、絶賛の仕方までなにやら難しい。…ヌーヴェル・ヴァーグ…エクリ
チュール…。ちょっと待て。なに、なに、何を言ってるのだ、この人たちは。

 少なくとも自分よりも映画をいーっぱい観ていると思われる大人たち、しか
もなにやら知識人っぽい人々、が大絶賛している監督の映画が、自分にはまっ
たく意味が分からない。その衝撃。映像は確かに美しかった(VHSだけど)。
だが、それはよけいに睡魔を誘う映像にしかならない。雰囲気も素敵だった。
だが、それ故に心地よくなってきて瞼が閉じてくる。その悲しさ。自分は馬鹿
なのだろうか。そうだ、きっと馬鹿なのだろう。

 田舎街のレンタルビデオ屋に置いてあったものは全部観た。どれも分からな
かった。唯一何となく最後まで観れたのは「勝手にしやがれ」で、ずいぶん乱
暴な映画だなあ。くらいの印象。だってタランティーノの方が、面白いよ、絶
対…。と心の中で呟きながらデッキからテープを抜く。その繰り返し。

 でも不思議なことに、自分を惹き付けたのは、「意味が分からないのになんだか魅力的」という点だった。

 後になって思えば、映画を見る前に知っておくべき知識とか、公開当時の時
代状況など映画を理解するのに必要なものがあるのだろうけれど、実は、そう
いったことが何となく分かって観るよりも、何も分からずにゴダールに出会っ
た時の印象の方が、おもしろかった気がする。ちなみに、今だってゴダールの
映画は実はよく分からない。でも好きなのは変わらない。意味は分からないけ
れど、なんか、好き。

 すぐに検索ができる今の世の中も便利なのだが、どうなんだろう。年齢を重
ねて僅かながら(高校生の時に比べれば)知識が増えたと思うが、それもどう
なんだろう。

 何かを知れば知るほど「意味の分からないけれど魅力的なもの」への愛執、
それは憧憬にも近い、が薄れてゆく気がする。

 大学は建築学科に進んだのだが、それもコルビュジェの書く詩的な文章とデ
ザインへの憧憬で、ゴダールに近い感覚だった。建築家の書く文章はとにかく
高校生にとって難解だった。だが、それが魅力的で美しかった。彼のつくる建
築をより美しいものに見せていたかもしれない。三島や谷崎などの日本文学に
関してもデュシャンやウォーホルなどのアートに関しても同じだった気がする。

 「意味の分からないけれど魅力的なもの」との出会いにあふれていたのが高
校時代で、今も、そんな出会いをしたいと思う。でもほんと、減ってきたなあ。

 そして、本音で欲を言えば、意味の分からないけれど魅力的なものを制作者
としてつくってみたいとも思っている。

 もちろん、ゴダールにはなれないけれど。

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