リレーコラムについて

春に想うこと。

田中真輝

今日、歩いていて、ふと思いました。

大の時、ショベルカー方式が「当たり前」か否かは、
幼年期に家のトイレが「和式」だったか否かによる
のではないではないか。
「和式」で前から対応するのはかなり危険な感じだ。
いや、それでも前から対応するスマートな方法がある
のかも…。

僕は考えているときは、かなりアホみたいな顔になって
います。ちょうどレギュラーの「西川くんが寝てる!」
ときの顔みたいになっています。

そんな顔をしながら歩いていて、車に轢かれそうになり
ました。うーん、春らしい風景。

それにしても、最近、ちょいちょい考えます。
「当たり前のこと」って何だろうなあ、と。

「人を殺してはいけません」「人のお金を盗んでは
いけません」「道ばたにうんこをしてはいけません」

これは、「当たり前のこと」。
なのに、そうでない事件やそうでない騒動が、いっぱい
ありますよね。なんだか多すぎて「ああまたか」みたいな。

「なぜ人を殺してはいけないか」どこかの大学教授が、
「人は二度と同じように作れないから」と書いていたのを
読んだことがあります。確かにそうだ。
学校に押し掛けて人を刺したりするやつに聞いても、
「確かに」くらいは言いそうな気がする。もしかしたら、
理解するかもしれない。でも、そいつは理解した頭で、
誰かを刺してしまう気がする。

「理屈じゃない」気がするのです。

「理屈じゃないこと」が最近、どうも先細っているように
思います。世の中が、どんどん理屈っぽくなっているから
でしょうか。

資本主義が、なんだか暴走気味なのも「理屈じゃないこと」
が、置き去りになっているからかも、とか思います。
「社会に対する責任」とかいって、メセナとかCSRとか、
あーもう、それこそが理屈っぽい。

「理屈じゃないこと」を教えるのは、とても難しそうです。

「大の時は、ショベルカー方式だ!」
「なんで?」
「なんで…って、なんでも!」

ちょっと違うか。でも、「なんでも!」みたいな部分が
必要になってくることですよね。それこそ理屈じゃない。

「当たり前のこと」「理屈じゃないこと」を「理屈抜き」で
教えること、うーん、これは大変だ。
でも、これがないと、世の中どんどんおかしくなってしまう
気がします。

「当たり前のことが当たり前じゃない時代」に
「当たり前のことを当たり前」だと教えること。

そんなことが、酔っぱらった挙げ句に、上司の家の
真ん前でゲロを吐いてしまうような、ひとりモラルハザード
みたいな僕にできるんでしょうか。

結婚二年目の僕は、今日もそんなことをアホみたいな顔
で考えていて、車に轢かれそうになるのでした。
ああ、春ですねー。

NO
年月日
名前
5726 2024.07.26 麻生哲朗 このターンのアンカー
5725 2024.07.25 麻生哲朗 形のない絵本
5724 2024.07.24 麻生哲朗 汽水域
5723 2024.07.23 麻生哲朗 ピアノマンと嘘
5723 2024.07.21 権八成裕 俺、実は、CM一個考えたんだよ 〜あやしいバイト・後編〜
  • 年  月から   年  月まで