リレーコラムについて

遠い記憶の中の人々 ?父親″

髙橋稔

ボクは、たぶん6歳のときに、
父親を亡くしました。
(なぜたぶんかというと、5歳の記憶までしかないからです)
ボクの中では、いちばん記憶の遠い人です。
父親の記憶は、よっつしかありません。
でも鮮明な記憶です。
ひとつめは、地震にあった記憶。
たぶん3歳か4歳のときだと思います。
寝てるときに地震がきて、
(憶えている初めての地震です)
でも、地震だとわからなくて、
父親に抱かれて、なぜか窓を開けて外を見ていたような記憶があります。
その印象からでしょうか、ボクはてっきり道を何かが
地面を裂きながら動いているのだと思いました。
(うちは農家だったので、農機具の記憶から連想したのかもしれません)
ふたつめの記憶は、父親の車で(軽トラですが)
うちで採れた蓮根を、まだ暗い早朝に市場まで運んでいるところです。
(蓮根の収穫は真冬なので時間のわりには暗かったのでしょう)
なぜそんなに早く、ボクがその車に乗っていたかはわかりません。
みっつめは、妹といっしょに乳母車で川に落ちたときの記憶です。
あとから聞いた話だと、祖母が子守りをしていて、
ボクと妹の乗った乳母車を、道に直角に停めて
そばを離れたそうです。
道に沿って川があり、道は川に向かって傾斜していたので、
動き出した乳母車がゆっくりポチャンといったわけです。
乳母車が動き出して川に落ちた記憶はかすかにあります。
そのあとは、父親といっしょに風呂に入って、
体をあっためている記憶までありません。
(そして)そのことが楽しかった記憶です。
いまから思えば、父親のことが頼もしかったのかもしれません。
最後の記憶は5歳のときです。
その日ボクは幼稚園に遅刻しました。
母親が自転車で送ってくれたのですが、
(普段は1キロくらいの道のりを歩いて行ってました)
校門までしか送ってくれなくて、
そこから校舎までまだ200メートルくらいあって、
ひとりで遅刻した教室に入っていく勇気がなかったボクは、
泣きながらもう見えなくなった母親の自転車を追っかけて
家にむかって走ったり歩いたりしていました。
そして、3分の1くらい戻ったところで、
偶然に出勤途中の父親の車に会ったのです。
父は「どしたん、おかあちゃんここまでしか送ってくれなんだんか?」
と言いながら、もう一度ボクを幼稚園の近くまで乗せてってくれました。
不思議なのは、父親に降ろされた場所は、
母親が送ってくれたところより、遥かに遠かったのに、
ひとりで教室まで入れたことです。
幼稚園の仲間から、泣いたあとがあると囃されるのを
いっしょうけんめい否定したのを憶えています。
あのとき父親からもらった不思議な勇気が、
ボクと父親の最後の記憶です。

来週は、いま一緒に仕事をしている安藤寛志さんです。
尊敬しているコピーライターの一人です。
よろしくお願いします。

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