リレーコラムについて

ポンポコ湘南藤沢、3人のS。

歓崎浩司

日韓が政治や経済ではなく
サッカーワールドカップで
盛り上がっていたその年、
僕は大学生になりました。

地元神戸を離れ、上京したのです。

「おはよう朝日」と聞くと、
「土曜日です」と答えてしまう僕。

「♪2時のワイドショー」と口ずさんでも
「なにそれ、ウケる。」と流されました。

「あ、御座候やん」と指差したものに
「え、今川焼きのこと?」とさとされました。

「あっちちゃうかな、知らんけど」には
「知らないなら言わないで」と叱られました。

東京感覚。

そんな新しい土地に移ると、
新しい仲間と出会うのが常というもので。

僕が人生で大きな影響を受けた、
大学時代に出会った3人のSを紹介します。

 

1人目のS。

情熱的で、一見チャラいがアツい男「S野」とは
映画サークルの懇親会で出会いました。

「なーんで持ってんの?なーんで持ってんの?」

どうやら僕は、飲み足りないから、
グラスを持っていることになりました。

第一印象は最悪でした。

とにかく勢いだけで場をしのぐ、
人たらしの適当な男に見えたのです。

しかし、S野とグルワをしたとき、
僕はイメージが変わりました。
(グルワ=グループワークの略)

たかが大学の授業です。
(語弊があったらすみません。)

その授業の課題に、何日も徹夜して、
「あーでもない、こーでもない」と
朝まで語り合っていたのです。

僕は「ものづくり」をする上で、
彼に学んだ大切なことがあります。

それは「作り上げたもの」も大切ですが、
その作る「過程」を楽しむという姿勢でした。

S野は学祭の実行委員をしていました。

彼の周りはいつも賑やかで、
ワイワイと盛り上がっていました。

サークルで映画を作っていた僕は、
いつも彼がうらやましかったのです。

スター。代表。人気者。

彼は受験組ではなく、
いわゆる付属高校から進学した
「内部」の人でした。

大学デビューからすでに
たくさんの仲間たちがいました。

僕は憧れと嫉妬を抱いていたのです。

どんなお願い事も「S野のためなら、やる。」
という人徳、人望、覇王色の覇気。

そんなS野と「心友」になるなんて、
出会った時には想像もできませんでした。

 

2人目のS。

東京感覚のギャップを最も感じた「S田」には、
確かダンスサークルの練習で出会ったと思います。

S田は、呆れるくらいにエロかった。

「目を合わせたら、妊娠する。」と、
あるイケメンがテレビでいじられていたのですが、
S田にはその力があるように思いました。

S田がダンスサークルに入ったのは、
女性目当てであったのは間違いないでしょう。

僕は「めちゃイケ」の岡村さんに憧れて、
ブレイクダンスでくるくる回りたい、
という純粋な理由で…(本当ですよ!)

しかもS田は、
バンドを本意気でやっていました。

間違いないでしょう。「モテたい」からです。

生半可な「モテたい」という思いだったら、
僕はS田に惹かれることはありませんでした。

S田は、いつも本気だったのです。

「モテたい」という本能に、
真剣に向き合っている、そう感じました。

「いつも本気でいる」ということを、
S田のライブに行った時に学びました。

「売れる音楽と、いい音楽は違うのか。」
「やりたい音楽と、求められる音楽の差は?」

S田は本気で「音楽」に向き合っていたのです。

やりたいことを、口に出す。

「叶う」という字は、
「十回、口に出す」と書く。

ただのエロい顔をしたエロい男、
ではS田はなかったのでした。

 

そして、3人目のSは、
S田の紹介がきっかけでした。

理由は「歓ちゃんに絶対合うと思うよ!」

…なんだよ!なんだよそのおせっかいは!
まるで僕が友達がいないみたいじゃないか!

まぁ実際、S野には引いていましたし、
友達はいませんでしたが…

「そういう気遣いがきっとモテるんだろうな。」

なんだかお見合いみたいに、
僕は「S江」と出会ったのです。

そしてこのS江との出会いが、
僕が今の会社に入社するきっかけになるのです。

S江はモデルのような男で、
背が高く、顔は小さく、手足も長い。

そしてS野、S田と違って、
僕と同じ受験組でした。

さらに、地方出身。僕と同じです。

年齢も、現役のS野、S田と違い、
空白の1年を抱える僕の、さらに1つ上。

一度入学した大学を辞めて、
改めて僕やS野S田のいる大学に
移ってきたのでした。

「学びたいことがある。」
「やってみたいことがある。」

僕やS野S田にはない、
大人っぽさ、人生観。

「ふと、ひとりになりたくてさぁ、」

ひとり旅に出ちゃうんだよね、と
遠い目をしていたS江に、
僕はどんどん惹かれていきました。

 

そして僕とS野S田S江の4人は、
自然と集まる「仲間」になっていました。

キャンパスにある「かも池」の辺りで、
生協で買ったサンドウィッチを食べたり。

動画制作のために「ラムダ18」という、
奇妙な施設のような教室で残留したり。
(残留=朝まで居残ること)

卒業旅行ではダイビングの免許を取りに
4人でセブ島に行ったり。

みんな違うのに、みんな似ている。

互いの意見を、否定や肯定を繰り返し、
最後はベロベロになって朝を迎える。

そして就活を迎え、それぞれの道を進んだ。

僕はテレビ局志望でした。

でもS江が「カンパチ、広告受けないの?」
向いてると思うよ!と誘ってくれた。
(カンパチ=僕の大学時代の一部での呼び名)

その誘いがなければ、
僕はこの会社を受けていなかった。

僕は今の仕事を天職だと思っています。

きっとテレビ局に進んだS野も、
今もなお音楽活動を続けているS田も、
僕と同期入社してまもなく会社をやめ、
紆余曲折して今の仕事に就いているS江も。

その過程を楽しみ、いつでも本気で、
自分と向き合い続けた確固たる「人生観」で
今を生きている。そう信じています。

あの頃、二十歳だった僕らは、
今、三十半ばを過ぎました。

同じ時期に、大学に入学した、
ただそれだけの理由で、
長い人生の旅の仲間になれました。

大学時代の悶々としたときも。
就活に打ちのめされそうになったときも。

「まぁ飲むか!」

ピーヒャラピーヒャラ、パッパパラパ。
駅前の「庄屋」、そして二次会は「はなの舞」。

鼻歌交じりでノリで乗り切ろう、と、
若さゆえの勢いで飲んでいた僕ら。

「踊るポンポコポリン」な感じで行こう。
僕らは「ポンポコ」というグループになった。

あれから17年。

「ここやぞここ、踏ん張りどころやぞ。」

S野はポンポコの生みの親、お台場のテレビ局から
メディア大航海時代の「テレビ王」として、
その覇王色の覇気でこの業界を
盛り上げていくことでしょう。

そんなアツいS野の番組のテーマソングは、
もちろんエロいS田が歌う曲。

その番組を、ふと旅に出ていたS江が
世界のどこかの旅先でたまたま出会ったりして。

そのきっかけとなる広告を、
僕が作っていたら最高ですね。

理由もなく「とりあえず集まって飲む」仲間。

大学ではたくさんのことを学びましたが、
この3人のSとの経験に勝るものはないでしょう。

ありがとうS野。

結婚式の二次会の司会、
S野じゃなかったら成立すらしてなかった。

ありがとうS田。

最後の学生映画の、あの「大根芝居」を見ると、
嫌なことすぐ忘れられる。(いい意味で。)

ありがとうS江。

あのとき広告業界に誘ってくれたから、
僕は今年、14年目でTCCの新人賞をもらえたよ。

心から感謝を込めて。

最後にS田がエロい声で歌っていた、
僕の大好きな歌の歌詞で締めくくります。

長い長いコラム、
ここまで読んでくれた皆さまにも感謝を込めて。

♪〜

あれからいくつ

年を重ね

自分のために

泣けなくなった?

かまわず 涙

流す人を

どれほどえらけりゃ

笑えるだろう

NO
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