リレーコラムについて

紐が切れた痛学カバンと、友人N。

歓崎浩司

阪神淡路大震災が神戸を襲ったその年、
僕は受験に挑み、私立中学に入学しました。

中高一貫のその学校に入学した
僕を待っていたもの。

男子校ならではの洗礼?
いや違う。
(むしろ友達が増えて人生観が広がった。)

体育、柔道教師の厳しすぎる指導?
それでもない。
(むしろ感謝しているほどです。)

それは…

往復5時間を超える、
通学…いや、「痛」学でした。

震災の影響で、実家から学校までの交通網が
マヒしていたのです。

中高6年間、僕は往復5時間かけて、
学校に通い続けたのです。

そこまで通学…いや痛学に
時間がかかるとどうなるか。

僕のカバンは、誰よりも重くなった。

宿題や勉強は、
電車の中でやらざるを得ません。

全教科はもちろん、
英語、国語、古文漢文の辞書など
常にカバンの中に入れて持ち歩いていました。

電車の中で宿題をするためです。

幸いなことに田舎でしたので、
電車は空いていました。

朝なんか僕と同じ中高に通う
同級生や先輩くらいしか
電車に乗っていませんでした。

時には音楽のテストに向けて
電車の中で笛の練習もしていました。
(車掌さんごめんなさい。)

学年が上がる度に学ぶ科目も増えます。
僕のカバンは大きく、重くなっていきました。

「必要なときだけカバンに入れたらええのに。」

ぺらぺらのカバンを指に引っ掛けて
同級生の友人Nはそう僕をからかいました。

「いやいや、必要やから毎日持ち歩いとんねん。」

そやかて漢文の辞書毎日見るか?と
テニス部のNはエア素振りをしていました。

それは確かにそうでした。
毎日使うものではないものも、
僕はカバンに入れていたのです。

突然、漢文の宿題を
やりたくなる「かもしれない」し、
次の日漢文の授業があるのに
「万が一」学校に忘れたらどうしよう。

そんな心配から、
僕は何でもかんでも
カバンに入れて持ち歩く癖ができていました。

いつ何が起こるか分からない。

地震は突然やってくるし、
同じ14歳の神戸の子が
連続児童殺傷事件を犯したり、
東京では地下鉄でサリンがまかれたり。

「何かあったらどうしよう。」

当時の僕は、
そこまで意識していませんでした。

でも、高校時代のある模試の朝、
友人Nの言葉を聞いて、
自覚したのを覚えています。

「歓崎、カバンの重さは、不安の重さや。」

薄っぺらいカバンを指でくるくる回しながら、
どや顔の友人Nは僕に投げかけました。

模試の直前で、ちょっとでも勉強して、
いい点数をとりたい。

僕は全教科の教科書や参考書を
カバンの中に詰め込んで試験会場にいました。
全部に目を通す時間なんてないのに、です。

不安だったのです。

「ああしておけばよかった。」
「こうしておけばよかった。」

連日テレビで報道されるニュースが、
僕をどんどん不安にさせたのでした。

そんな不安な気持ちを紛らわせてくれたのが、
僕の大きく重いカバンだったのかもしれません。

そんな不安が膨らんで膨らんで、
ついにその日がやってきました。

「ブチっ」

僕の大きくて重いカバンの、紐が切れました。

高校2年生の、
夏になりかけていた頃だったと思います。

「キレる17才」と揶揄された
82年生まれの僕でしたが、
キレたのは僕ではなく、
カバンの紐の方でした。

後悔したくない、失敗したくない。
そんな不安な気持ちを表していたかのような
僕の大きくて重いカバンに
ついに限界がきたのです。

そして不思議なことに、
僕はなんだか、スゥーっとスッキリしたのです。

吹っ切れた、というのでしょうか。
やるだけやった、だからもういいんだよ、と、
誰かに言われたような気さえしました。

カバンが使えなくなったので、
代わりに小さなバックを
代用することにしました。

あえて荷物を減らす、
というチャレンジをしたのです。

失敗でした。

やっぱり、あれがない、これがない、
とより一層不安な気持ちが
大きく重くなったのです。

それからというもの、
僕の人生は大きく重いカバンとの
二人三脚が続いています。

今、出張先の京都からの
帰りの新幹線でこのコラムを
書いています。

大きな重いカバンを
足元に置いて。

出張だからではありません。
毎日普通に通勤しているカバンです。

中には僕の不安を紛らわせてくれる
「これは使わへんやろ」というもので
いっぱいです。

時計も右手にSEIKO、
左手にApple Watchを巻いています。

なぜかって?

不安だからです…ひとつだと…
もし電池がなくなったらどうしよう、とか、
壊れちゃったらどうしよう、とか。

え?スマホがあるって?

同じです。スマホのバッテリーが…
不安は止まりません。

「カバンの重さは、不安の重さ。」

置き換える、というレトリックよりも、
むしろ、カバンを重くすることで、
毎日の不安を軽くしている、
という学びを得ています。

当時この言葉を友人Nに言われた時は、
「はっ」とさせられました。

でも今では大人になった、
コピーライターの僕としては
こう言い返したいのです。

「カバンを重くして、不安を軽く」しているのだと。

「めちゃくちゃ言い訳がましいぞ歓崎」と
友人Nはニヤニヤ笑いながらそういうと思います。
でもそれでいいのです。

「分かってへんなNは」と
僕は顔をしわくちゃにして、
当時は交わせなかった一杯いきたいのです。

大学受験に追われていた悪夢を断ち切り、
どうでもいい昔話を肴にして。

友人Nへ。

このコラムを読んでいたら、
ぜひ飲みにいきましょう。(絶対読んでない)

中高をともにした皆さんも、
たまには飲みにいきましょう。

手ぶらで行きます。(不安ですが。)

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