リレーコラムについて

イカン、イカン。

鈴木武人

本屋に行って、あまり冒険をしなくなった。
どこかで書評を頼りにしていたり、
気が付くと、自身の好みに忠実な「安全パイ」を、
結果手にしてしまう自分がいる。
オモシロイかどうか保証はないけど、
匂いをたよりにいっちょ読んだるか、という選択が減っている。
ちょっと、イカン、と思う。

永六輔さんがラジオについて、こんなことを書いていた。
昔、ラジオが唯一の楽しみだった時代。
じぶんの興味関心に関係なく、ラジオに流れる
番組をずっと聴いている。
好きな歌番組もあれば、退屈な番組もある。
でも、それらを分けへだてなく聴くうちに
今まで全く触れることのなかった世界に偶然興味を
持ったりすることがある。そんな出会いが楽しみでもあったと。

今はリモコンで、好きなTV番組だけを渡り歩く時代。
楽で、快適だけど、結果、自分の世界を狭くしていないかと。

脚本家内館牧子さんは、いま作家業を休んで
東北大学の大学院で、宗教学を学んでいる。
「50歳になったら学校に行く」ことを決めていたそうだが、
何を学ぶかについては、
「仕事に全く役に立たないことをやろうと思った」そうである。
「国文学とかやったら『次のドラマに役立つだろう』と思ってしまう。
それよりも、私自身の仕事にフィットしないものをやる方が
私にとって豊かさになると思った」と語っている。(毎日新聞でのインタビューより)

会社を受けるときに、先輩に言われたことも思い出す。
新聞を、いつも同じところだけ読んでいないか。
一週間でいい。
朝刊の一面から最終面まで、一字一句もらさず、すべて
読みきってみろ。
一週間たったら、世の中がゆっくり確かに動いていることを、自分の鼓動の
ように実感できるぞ、と。

忙しさに流されて、
自分をうるおわすための、こうしたチャレンジが
少しずつ遠のいてしまっている。
ホントウにイカン、なのである。

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