リレーコラムについて

腐れ縁について

篠原直樹

ベランダから横須賀線が見えた。

初回のコラムでも書いたが、
私は4歳のころ、家庭の都合で叔母の家に預けられていた。

叔母の家は、大船駅から程近いマンションの5階で、眺めがとてもよかった。
普段の私は、よくベランダに出ては、
目の前を走り去る電車を絵に描いてひとりで遊んでいることが多かった。
遮断機の音が鳴ると、私はクレヨンとわら半紙を持ってベランダに出る。

当時の横須賀線は面白かった。
クリームとブルーのツートンカラーの車両に
東海道線で使われているオレンジとグリーンの車両が混じって走っていたのだ。

私は、わら半紙を横にして見た列車を1両ずつ描いていった。
それがある程度溜まったところで、横につなげて絵巻物の仕立てにしてゆく。
実際の横須賀線は、長くても14〜15両編成だったような気がするが、
私の列車絵巻は、とても長くて30両編成以上だった。
もちろん、オレンジとグリーンの車両が混じった、まだら模様の列車である。
貨物列車もよく描いた。たくさんの列車絵巻が溜まっていった。

私は、本来ならば幼稚園に通うような年齢だったが、
預けられていたのでそうもいかず、友達をつくる機会がほとんどなかった。
そのような中で唯一、階下に住んでいるという女の子がよく遊びに来ていた。
だが、思い返せば、その子とふたりで一緒に遊んだ記憶があまりない。
私は外を見て絵を描き、彼女は部屋にある積み木で遊んでいることが多かったように思う。
そして夕方になると、お母さんと思しき女性が迎えにきて彼女は帰っていく。

ところが、しばらく経ったころ、彼女はパッタリ遊びに来なくなった。
私は、“最近来ないな”と思ったが気にもせず、特に叔母にも訪ねようとはしなかった。

大学生になって、同級生の女性とつきあうようになった。
ある日、私たちは海にドライブに行こうということになり、
首都高の横羽線を通って、湘南の方へに向かったときのことだ。
私はふと、当時預けられていた大船のマンションの前を通ってみたくなった。
随分久しぶりである。もう何年もそこには遊びにいっていない。
やがて高速を降りて国道に入り大船駅を通りすぎ、マンションが見えてきたころで、
助手席に座っていた彼女が、突然思い出したように呟いた。

「…あたし、小さいころ、あのマンションに住んでいたんだ。」

実は私も幼いころ、住んでいたことを告げると、彼女は驚いた。
そして、私が当時、家庭の事情で叔母に預けられていて、
毎日電車の絵を描いてばかりいた、と話したところで
彼女は怪訝な顔をしてこちらを見た。

「あたしね、憶えてるんだよね。
 よく遊びにいった家で、絵ばっかり描いていた無口な男の子。確か上の階…だったな。」

私は仰天した。
彼女が言っている男の子とは、たぶん私のことである。
話しを聞いてみると、彼女も自分の弟が産まれるということで、
3ヶ月間だけ叔母の家に預けられていたらしい。
女の子が突然来なくなった、という私の記憶があるのも、それを聞くと納得がいく。

その夜、両方の叔母に確認してみたが、やはり私たちの推測は当たっていた。

ちなみに、そのときの彼女は今の妻である。
事実はまさに小説よりも奇なり、なのである。

今では私たちはお互い腐れ縁だ、ということにしている。

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