リレーコラムについて

物書きの独りごと2

柏木新

 コピーライターの柏木新です。
 書くという作業。ただその一点に焦点を当て、コピーと
俳句と小説の違いを整理してみようと思います。わかって
ます。世界が違うので比較すること自体がナンセンス、な
のかもしれません。それが乱暴だってことを重々承知の上
で、書いてみようと考えました。

 コピーライターという仕事、コミュニケーターだと思う
のです。
 クライアントがターゲットに伝えたい言を、わかりやす
くあるいはインパクトある表現に翻訳して伝える、それが
役割なのでしょう。
 内容の一部を膨らませ、あるいは強調しても、あくまで
も事実でなければならない。勝手に嘘をついてはいけない
と、教わりました。
 コピーを書く前に、クライアントか広告会社の担当者か
ら、詳しいオリエンテーションを受ける。社会環境、経済
環境、市場環境、生活環境など、さまざまな要素を考慮し
て、コンセプトを構築する。
 そのコンセプトに基づいて作業を始めるのですが、クラ
イアントの要望がつねに頭のどこかにある。受け手の反応
をつねに意識している。限られた範囲で飛躍を計るけれど、
仕事を依頼されたからには、好き勝手な真似はできない、
と思っていいます。莫大な広告費が投入されているのです。
やりたいことがやれるわけではない。
 ところが小説、何が起きるかわからない明末清初を舞台
にした小説では、やりたいことをやれます。すべてが虚構。
面白くするための嘘だらけです。そういうこともあるかも
しれない‥‥。読者にそう思わせるために、事実あるいは
事実に近いものを適当に捲き散らして補強する。講釈師じ
ゃないけれど、平気で「見てきたような嘘」を付いていま
す。とにかく当時を知ってる人は少ないんですから。
 そして捻る句は、「写生」などというものにはほど遠い。
やたらに事実を曲げることが多いのです。嘘だとわかって
も許してもらえる。あるいは見逃してもらえる。それがな
んとも快いのです。嘘をついても誰の迷惑にならない。無
責任でいられるからでしょうね。

 俳句を拵えているうちに、“色恋”や“女”を折り込ん
だ句に溺れたことがあります。どんな席題が出ても、強引
にそっちの方向へ持っていってしまう。シチュエーション
をでっち上げる。そんな傾向がしばらく続きました。じつ
のところ、今も続いているのです。
 俳句はとは十七文字のドラマである、と聞いたことがあ
ります。
 他にも「俳句とは‥‥」の定義みたいなものを、いくつ
か聞かされました。私としては今のところ、「十七文字の
ドラマである」というのが、最も気に入ってます。また変
わってしまいそうですがね。

 以下の句のうち、嘘のものがあります、どれだと思いま
すか。

     河豚を買う ほんの僅かに殺意あり

     共犯は芽という女 逃げて冬

     蕩けるか凍てるか嘘の雪女郎

     春寒や片方の乳房尖りたり

     春雷や二人の時計また動く

     春惜しむ 前の旦那は左利き

     風花やあなた殺していいですか

     口紅で嘘のアドレス 寒椿

     来る来ない 待てど朧の月夜かな

     浴衣着て鏡見て下駄履いて祭り

     口紅が滲む酷暑や魔の予感

     新大橋を日傘で渡る女あり

     誰かが忍び泣いてる夜光虫

     鳥の巣や女は少し寒いという

     夏からの恋い切り刻む掛時計

     春菊や去った女の箸の紅

     終電を待つ煙草の火 ぽつんと冬

「新大橋を日傘で渡る女あり」というのが、見たまんまを
詠んだ句です。なんの工夫も芸もありません。ドラマにも
なっていません。

 そういえばだいぶ前のことですが、五七五という俳句の
形態をしたキャッチフレーズがありました。手元にコピー
年鑑がないので確認できませんが、あれはたしか、西武百
貨店の新聞広告だったと記憶しています。テイジンの新聞
広告にもあったような気がします。
 その頃はまだ俳句を齧ってなかったので、なるほどこう
いう手法もあったのかと、たいへん感激したものです。も
う一度見たい。
 続きはまた明日‥‥。

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