リレーコラムについて

チルドレンです。

赤城廣治

あのースミマセン。昨日書いた自分のコラムを見て、
しょんぼりしちゃいました。なんか文章の字切りとか改行が
めちゃくちゃですごく読みにくいなぁ、と。どうやったら
他のみなさんのみたいに読みやすいコラムになるんで
しょうか?う〜ん…。

で、今日はですね、チルドレンというテーマです。
何を隠そう僕は「梅本’Sチルドレン」なのです。
要は梅本洋一さんというコピーライターに多大なる
影響を受けて育ったコピーライターなのです。
梅本先生も(この「先生」の意味は、宣伝会議の専門クラスの
先生という意味で、政治家とかが使う「センセー」とは
ニュアンスが違いますので)若いころ、秋山晶さんの
世界に夢中になり、自らを「秋山’Sチルドレン」と称して
いたそうで、まあ、その考え方を継承させていただいて
いるのですね。今日は先生に無断で、そのあたりのことを
コラムにしようと思います。スミマセン。

先生に始めて出会ったのは1990年の夏のことでした。
もう11年も前のことになります。当時の僕は
某代理店でコピーライターをしていました。
大学を出て就職して、コピーライター2年目の夏。
まあ、どうしようもない、いわばハナタレでした。
コピーライターになってから宣伝会議に通う。
ちょっと順番が逆だろ、という感じですね。
あれから今に至るまで、僕は先生から実にさまざまな
ことを教わっています。未だに生徒なんです。
というか一生、そうだと思います。

最初に教わっこと。それは「赤城、コピーライターに
とっていちばん大切なことはな、朝メシをしっかりと
食べるということなんだよ」でした。宣伝会議の第一回めの
授業の後、何人かの生徒を飲みに連れていってくださり、
そのうちの幸運な4人は先生のご自宅に泊めて
いただいたのでした。で、朝、コーヒーの香りで目が
覚め、テーブルいっぱいに広げられたどっさりの
朝食(ぜんぶ先生お手製)を囲みながら
件の教えをいただいたのです。

夏のキャンプでのご飯づくりでは「あ〜もう
赤城〜何やってんだよ〜。ナイフの使い方も
知らないのか、貸してみろよ〜」と
釣った魚を次々と捌いて見せてくださいました。

蝉の幼虫が銀座の街を歩いるのを見つけると
「あ〜あ〜誰かに踏まれたら大変だ!」と
道にしゃがみ込んで幼虫を保護し「赤城、こういう
時はね、できるだけ自然に近い木につかまらせて
やるといいんだよ」と幼虫を街路樹に離し
ホッとしていました。コピーライターって、
やさしくて、カッコいいなと僕は先生の
することなすことすべてに引き込まれて
いきました。なんでも教えてくれる
兄貴みたいな感じがして嬉しかったな。

宣伝会議の同期のある女性なんて、僕があんまり先生、先生と
言うものだから「絶対赤城くんてホモだよね〜」と
決めつけています。(先生にとっては不名誉なことですね、
スミマセン)そんな先生との忘れられない思い出が今年
できました。なんと、先生から電話がかかってきて、
「赤城に頼みたい仕事があるんだよ〜、忙しい?」
ですって!こんなこと始めてです。ウソだろおいって
感じ。信じられないくらいに嬉しいのと同時に
すごいプレッシャーも感じました。なんだか長くなりそう
なので端折りますが、代理店内競合もあり、何十、何百と
いう案がプレゼンされた結果、僕と先生が考えた企画が
選ばれたんです。その企画は割と早い企画段階から
先生が「赤城、これだよ。この企画しかないよ」と
おっしゃってた企画でした。先生がCDの仕事で、僕も
企画とコピーを手伝わせていただいて、完成したCM。
僕の宝物になりました。何のCMかは、聞いてきた方には
お教えしますね。(あ〜、先生とのことはいくら
書いても終わりそうにない)

もちろん先生は僕だけのヒーローではなく、
みんさんご存じのように広告界においてたくさんの
かっこいい仕事で注目されてますし、
TCCの幹事会などでも、会員のためにと尽力されています
から、梅本’Sチルドレンはたくさんいるはずです。

その中でも僕は1、2位を争うくらい、多くのことを
教わっている男だと思ってます。そのことこそが、
僕がコピーライターを続けられる大きな勇気に
なっているんです。先生、ありがとうございます。

それでは今夜はこの辺で。
梅本’S チルドレン代表、赤城廣治

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