リレーコラムについて

5人の広告作家 4

迫田哲也

「5人の広告作家」という本には、きのうまでの3人のほか、デビッド・オグルビーとロッサー・リーブスが登場します。
 
●(ある化粧品の仕事について)自分の部屋のドアを閉めて、コピーを書きはじめるときは、こんなふうに思いこもうとしました。—いま、ディナー・パーティで婦人の傍にすわっている。その婦人が私にどんな商品を、どこで買ったらいいかたずねる。
そのとき、彼女にどんなふうに答えるか、それをコピーにしました。事実、事実、事実です。それを、できるだけおもしろく、魅力的に、個人的なものにします。群集に向けては書きません。一人の人間が他の人に、直接向けたかたちで書くようにしま
す。女性を退屈させないように、できるだけリアルで、個人的な調子にしようとつとめます。私は優れた広告は個人的な経験にもとづくものだと信じています。
(デビッド・オグルビー)

●ずっと以前、競争相手の製品とほとんど変わったところのない製品をヒットさせることができる、信じていたナイーブなメーカーがいました。彼らはいったものです。「よいコピーを書いてください。そして製品をよくしてください」と。こんにち、これは正しくないことをわれわれは知っています。(中略)(大きな優れたメーカーは)製品自身にアイデアがないかぎり、コピーライターはほとんど助けにならないことに気がついています。ひとたび製品にアイデアがこらされれば、コピーライターは無から何かを探し求めるといったことは必要なくなるのです。そのとき彼に必要なのは技術的な仕事なのです。つまり、いかにして大衆に、その製品自身がもつアイデアをもっとも効果的にアッピールするかという仕事なのです。
(ロッサー・リーブス)

●私は著書の中で、広告の技術は最小の費用で、より多くの人の頭にメッセージを入れることだと書きました。(中略)より多くの人びとの頭に、最低の費用でメッセージを伝えるなら、それはほとんどエンジニアリング・テクニックの問題であり、プロフェショナリズムの問題なのです。コピーライター自身の創作衝動は、あくまで、その究極的目的に従わせるべきなのです。この広告のアイデアは、ほんとうに自分の頭の中から、大衆の頭の中へ伝わるだろうか?しかも最低の費用で—。広告とは、まさにそれ以外にはなにもない作業なのですから。
(ロッサー・リーブス)

 ロッサー・リーブスの立場は明解です。当時、アメリカ広告界の最左翼にバーンバックが位置し、最右翼にロッサー・リーブスがいたようです。バーンバックは、広告の85パーセントは一顧だにされない→したがって製品に立脚したアイデアをオリジナルでフレッシュなものにしなければならない、と主張し、ロッサー・リーブスは、表現アイデアに凝ったがために本来の目的を忘れてしまった広告表現がある、と警告している。当時私は正反対の立場とみましたが、今はちがいます。シュンペーター的企業家と合理的消費行動をとる大衆がいると信じられたマーケットという、いわば科学史用語でいえば同じパラダイムのなかにふたりはいる。もちろんほかの3人もそうです。だから彼らの言葉が今の日本(ポストモダンではなくてじつはモダン未満だった!)にそのまま適用できるはずもない。そう思いながら私が何度も何度もこの本を読み返しているのは、教育があって購買力も備えたはじめての大衆(国民)が出現したアメリカで、扇動とか媚びへつらいとか会社の都合ではなく、対等の立場で消費者と真剣にコミュニケートしようとするコピーライターたちが好きだからです。彼らと同じ職業についているというだけで勝手に誇りが持てる気がするからです。35年前に彼らの言葉を翻訳したTCCの先輩たちもそうだった、と想像しますが、どうでしょう。

来週の火曜(月曜は休日なので)からは、資生堂の松原さんです。アルコールにも人生にも強い人です。彼女のコピーではない文章も読んでみたいので、お願いしました。

それでは。

                    ADK 迫田哲也

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