リレーコラムについて

ビーフ・ストロガノフの作り方を知らない

鶴香奈子

5年前、娘が生まれたとき以来、時折考えることがあります。

私は、ビーフ・ストロガノフの作り方を知りません。
知らないので、当然作ることはできません。
でも、この子は生まれてきました。
私はおなかのなかで、どんな材料をどう組み合わせたら
この子の目や鼻や口や手や足やおしりを作ることができるのか
その一切を知りません。
それでも、この子は生まれ、いまもすくすくと育っています。

そう考えたとき、「子作り」という言葉が
とんでもなくエゴイスティックな大嘘であることにようやく気がつきました。
私は、私たち夫婦は、子供を作ってなどいません。
この子がみずから生まれてきただけでした。

各夫婦やカップルに、妊娠や避妊、不妊治療など
さまざまな事情や計画があることは大前提です。
子供を望まない選択もあるでしょうし、
LGBTの夫婦やカップルのような、実子というより
養子を迎え入れるか入れないか、という選択もあるでしょう。
そういった中で子供に関して「作る」という感覚が混ざってしまうのは
幾分致し方ないのかもしれませんが、
少なくとも私にとっては、
子供は「作る」という次元のものではありません。

何を当たり前のことを、と思われそうですが
「子作り」という言葉が普通に使われていること自体、
その当たり前の感覚が薄れている何よりの証拠ではないでしょうか。
自分たちの作ったものだと思い込んでしまうと、
自分たちの思い通りにならないことがあったときショックを受け、嘆く。
それは夫婦にとっても、そこにやってきた子供にとっても、
悲しいすれ違いのような気がします。

子供がなにをしようと親には関係ない、
なんて極論を述べているのではありません。
むしろ逆で、子供が家庭の外で社会に触れる際、
親の責任意識と振る舞いは子供の評価と直結すると思います。
たとえば電車で騒いでいる子がいたときに、
無言でスマホをいじっている親と
「◯◯くんのことうるさいな、ってみんなに思われると、
お母さん(orお父さん)悲しいな」
と伝えようとしている親では
子供本人の見え方まで変化すると私は信じています。
ただ、この話と「自分たちの作ったものだと思い込む」ことは
全く別の話です。

私は自分の子供に誓って、これまでもこれからも、
「子作り」という言葉は使いません。

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