リレーコラムについて

2002年

岩田純平

こんにちは。

電通の岩田です。

リレーコラムは
12年ぶり2回目です。

2002年に
新人賞をいただき、
その年に一度バトンが回ってきて、
リレーコラムを書かせて
いただきました。

2002年は
日韓ワールドカップの年です。

というのを
なぜすぐに思い出せるかと言いますと、
僕が異常なサッカーファンだから、

ではなく、
2002年の同期会の名前が
「ワールドカップの年の会」
だったからです。

TCCの新人賞を取ると、
TCCで新人歓迎会というものを
やっていただけるのですが、
その恒例行事として
「同期会の名前をつけよう」
というコンペみたいなものが行われます。

新人が一人一案ずつ
同期会の名前を考え、
発表していきます。

その中から多数決で
同期会の名前を決めるのです。

その際に決まった名前が
「ワールドカップの年の会」
だったのです。

素晴らしいネーミングです。
考えたのはもちろん
僕ではありません。

ちなみに、
その時僕が考えたネーミングは
「養命会」
というものでした。

というのも、
僕は当時「養命酒」という
会社に勤めていたからです。

新人歓迎会で、
みんな広告会社か制作会社の中、
僕だけ一人メーカー社員。

横のつながりもないので、
ほぼ孤立していました。

代理店や制作会社のみなさんは
会社の人と知り合いだったり、
あるいはゲストでいらしていた
審査員の人と知り合いだったり、
そもそもが
気さくな人だったりで、
和気あいあいとされてました。

俺、あの人と友達なんだぜ、
アピールが横行し、
しがないメーカー社員は
その華やかな場から
完全にシャットアウト
されていたわけです。

そんなアウェーな状況下で、
ちょっとでも傷跡を残して
名前を覚えて帰ってもらおう
という安直な発想のもと提出した
「養命会」ですが、
意外と決勝まで残りました。

でも決勝では、
みんながふと我に返り、
いや、俺ら養命会じゃねえだろ、
という半笑いな空気の中、
ワールドカップの方に
決まったのでした。

冒頭で偉そうに
「電通の岩田」などと
名乗ってしまいましたが、
12年前は
「養命酒の岩田」でした。

いまだに根は
養命酒の岩田です。

そんな僕ですが、
電通に入って8年が
経とうとしています。

養命酒には丸9年いたので、
もうすぐ電通人生が
養命酒人生を上回ってしまうのです。

いまだに電通のことを
電通さんと言ってしまうのに。

おそろしいことです。

それにしても
電通時間の早いことよ・・・・。

8年間、仕事以外
何をしていたか思い出せません。

いや、本当は
結婚とかいろいろしていたのですが
さすがに僕の結婚の話は
読む気がしないと思うので
書きません。

なのでコラムは
思いだせる養命酒時代のことから
はじめてみました。

一週間よろしくお願いします。

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