リレーコラムについて

2006年夏

岩田純平

こんにちは。
電通の岩田です。

基本、
デスクでコピーを書くので
だいたいデスクにいます。

クリエイティブの人は
あまり会社で仕事しない人が多いので
けっこう珍しいケースです。

そんな人たちが
たまに会社に来る時、
僕がいつも席にいるので、

「岩田さんいつも同ポジですね」

と言われます。

なぜ会社で書くのですか?
と聞かれますが、
養命酒時代からの
習慣だからだと思います。

養命酒時代は
基本はメーカーの社員なので、
好き勝手に
ふらふらしていられません。

会社に来て
自分の席で仕事をする。

会社にいることこそが
仕事をしている証だったのです。

当時の僕の仕事は、
1週間に1本全3段の新聞広告を
つくることでした。

全3段というのは
新聞の夕刊の一面の下の方みたいな
横長のスペースのことです。

当時は大きなスペースだと
思っていましたが、
電通に入ると全3段は
「小枠」と呼ばれてしまい、
なんだか悲しい気持ちになりました。

まあ、そんな仕事量だったので、
実質的な労働時間は、
週に2時間くらいでした。

でも、席に座ってないと
給料がでないので、
他の時間は何をしていたかと言うと、
雑誌を読んでいました。

一応クライアントさんなので、
各代理店さんが
見本誌ということで
さまざまな雑誌を持ってきて
くださるのですね。

なので当時の僕の一週間は、
月曜日の現代、ポストにはじまり、
火曜日はFLASH、週刊朝日
水曜日はhanako
木曜日は文春、新潮
金曜日はanan、FRIDAY
(発売日は当時。うろおぼえです)
みたいな感じで、

その他にも各女性誌や月刊誌、
きょうの健康、きょうの料理、ステラなどNHK出版系、
いきいき、安心、壮快、ゆほびか、といった健康系、
など会社に届くあらゆる雑誌を読んでいました。

でも、雑誌を読むことは
意外と仕事に役立ってました。

当時の僕は
養命酒のことだけを
考えていればよくて、
具体的には

肉体疲労
冷え症
胃腸虚弱
虚弱体質

のことだけを
考えていれば
よかったのですが、
雑誌を読んでいると
有名人のインタビューが載っていて、

そこにたまに
「体が疲れて・・」
とか
「冷え症で・・」
みたいな話が出てきます。

そういう時にぽろっと出てくる
発言というのは、
経験者にしか思いつかない、
言われてなるほどと思うような、
実感のこもった発見が多いのです。

というように
広告のネタ探しであることを
免罪符にして
雑誌をずっと読んでました。

そんな悠久の時間が
養命酒には流れていたのです。

思えば会社説明会で
初めて養命酒に行った時、
エレベーターから
白髪の仙人のような人が降りてきて、
「さすが健康長寿の会社だ」
と感心したのを覚えています。

会社説明会では
湯呑に入った
お茶が出ますし。

本当にいい会社でした。

片や電通ですが、
まあ、
よく働かせてくれます。

エレベーターに乗れば
皆が急いで「閉」の
ボタンを押します。

みんなせっかちです。
仕事が多いからです。

僕は電通に入った一年で
養命酒9年間に書いた文字数以上の
文字を書いたと思います。

養命酒と電通の仕事量の差、
それは単純に
一つの仕事を通すための
手間の差であると思います。

養命酒はクライアントだったので、
一つの原稿を通すのに
一案しかつくりません。

一応、上司がチェックしてくれるのですが、
基本的に薬事法に違反してなければ
とりあえずやってみよう、
という方針だったからです。

それにくらべ、
広告会社の普通の仕事は
一案を通すために
何案も作ります。

何度もプレゼンすることも
しばしばです。

クライアントさんに
「選んでいただく」
仕事だからです。

これは、
意外と深いことを
言っています。

広告会社の顧客は
あくまでも
「クライアント」です。

クライアントが
お金を出してくれることで
商売が成立する仕事です。

一方で養命酒の顧客は
「消費者」です。

メーカーなので
広告をつくり、
商品が売れてくれないことには
商売が成立しないのです。

広告会社はクライアントの満足のために
広告をつくり、
メーカーは消費を促すために
広告をつくる。

この意識の差が
仕事量に影響しているのです。

試写の時は
できあがったCMではなく、
クライアントさんの顔を見る。

それがD通マンの仕事なのです!

とか偉そうに言ってますが、
僕も電通に入ったばかりの頃は
暇でした。

暇すぎて
階段で転んで
背広がビリビリに
破れた状態で出社したことも
ありました。

今まで養命酒しか
やったことのない人に
ちょうどいい仕事など
ないのです。

そんな僕の
直属の上司は
中澤CDという方でした。

「岩田くんはどんなことがしたいの」

「コピーたくさん書く仕事がしたいです」

「たとえば?」

「牛乳に相談だ、みたいな」

「じゃあそういう仕事しよっか」

中澤さんは、後に
岩田が電通三大お世話になった人の一人になられる、
あらゆる広告賞を総なめにされてきた
アートディレクターであり、
クリエーティブディレクターです。

そんな中澤さんが
仕事をくださりました。

缶コーヒーRootsの
競合の仕事でした。

2006年の夏でした。

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