リレーコラムについて

日付変更線の越え方

田中泰延

このリレーコラムは指名された人が毎日更新する決まりである。
前回、私は2月4日に書いたわけだから、
当然、今回は2月5日である。

グリニッジ標準時から12時間遅れ、アメリカ領ハウランド島。
現在、2014年2月5日午後3時55分。

南太平洋に浮かぶハウランド島には暖かい風が吹いている。
日本では2月6日にあたると思う。
寒い中、たくさんの労働者が勤労していることだろう。
ほんとうにご苦労なことだと思う。
2月5日、ハウランド島のリゾートで飲むフローズンマルガリータは最高だ。

SNSの時代である。

SNSとは、言わずと知れたソーシャル・ネットワーク…最後のSはよくわからない。
わからないがとにかく時代なのである。

私も、ご多分に漏れず「ツイッター」というものを4年前に始めた。

毎日、誰に言うでもない独り言を書き込む。
非常に時間の無駄である。

仮に、10年前に戻れるタイムマシンがあったら、
自分の肩をつかんで、
「もうすぐ携帯電話とかに独り言を書き込む変なものが発明されるんだけど、
絶対やるな!時間のムダだから!」
と言って聞かせるだろう。

おそらく、10年前の自分は
「携帯電話に独り言を書き込む?そんなもの流行るわけないだろ、お前。
ていうか俺。バカか?知ってたけど」
と言うだろう。

そこがツイッター社に200億円を投資してさらに儲けた
サウジアラビアのアルワリード王子と私との違いだ。
私が2人寄り集まって話し合っても間違った結論が出るのに対して、
アルワリード王子は1人でも未来を予見し、
狙い通り多くの人がこれを利用しているのである。

ツイッターが発明される前は、
その言葉たちはどこに消えていたのか?
大きな穴でも掘って叫んでいたのか?と思うほどにみな独り言を書き込む。

私のツイッターのアカウントは、

@hironobutnk

である。
私の発言にいちおう聞く耳を持った人(フォロワー)が
今日現在で7402人。

そんなにたくさんの人が他人の独り言を読むのかと驚くばかりだが、

さらに、なんと私が過去、ツイッターに書き込んだことの中から言葉を選んで
繰り返しツイートする「ひろのぶbot」

@hironobot

というものも現れた。

これは、誰が作ったのかいまだに分からない。
知らない人が、過去の私の発言を選んで、機械に繰り返させているのだ。

ちなみに、ボットというのは「ロボット」の略称だそうだ。

「ロ」一文字だけ省略することに何の意味があるのかさっぱり分からない。
手元のストップウォッチで計測すると、
「ロボット」と発音するのには0.65秒、
「ボット」と発音するのには0.41秒であった。

0.24秒短くすることになんの利益があるのかと思うが
たぶん1時間に何億円も稼ぐ
アルワリード王子みたいな人には大切な節約なのであろう。

私が4年間、41,228回独り言をつぶやいて、
私の発言にいちおう聞く耳を持った人(フォロワー)が
7,402人。

いっぽう、過去の私の発言を繰り返すだけのbotは、
2年間ほど、機械が3,922回つぶやいただけでフォロワーが
2,649人。

どういうことだろうか。

生身の私より、ロボットの方が
ものすごく人様に相手にされているのではないだろうか。

おそらくこのペースで行くと、botのほうが私のフォロワー数を抜くだろう。
そうなるともはや私にはなんの存在意義もない。
何をして暮らせばいいのだろうか。

なんにしても、SNSをやることはほとんど役に立たない。
だが、役に立たないことをやるから面白いのである。

役に立つことはつまらないことなのである。
ためしに台所の流しの上に、
とても役に立つスポンジと、まったく役に立たない石ころを置いてみよう。

一ヶ月後、ボロボロな姿になるのはどちらであろうか。
「役に立つ」ということはたいへん危険なのである。

人も、企業も、「役に立つ」ことばかり考えてはいけないような気がする。

しかも、SNSで書いたり読んだりする言葉は、
役に立たないばかりか、信じてもいけないものがほとんどだ。

言葉というのは、所詮、
辞書に載っている単語の組み合わせの羅列にすぎない。

もう一度、今日のコラムの冒頭をよく読んでほしい。

アメリカ領ハウランド島がきょう、2月5日なのは間違いないが、
そこに私がいるなどとは、ひとことも書いていない。

ところが読む者は、

ああ、
田中さんは今、南太平洋でこれを書いているんだな。暖かそうだな。
田中さんの言う事はもっともだな、時差があって向こうは2月5日だな。
田中さんは昨日さぼった訳じゃないんだな。
田中さんはリゾートホテルにいるんだな。
田中さんといっしょに行きたいな。
田中さんの飲んでるフローズンマルガリータ、おいしそうだな。
田中さんといっしょに飲みたいな。
田中さん、抱いて。

と、100人中128人程度がこのように思ってしまうのである。

これが言葉の恐ろしいところだ。

そこをあんまり真に受けない、というか、
信じない姿勢で気楽に付き合う、
実はそれは言葉への向きあいかたとして、正しい。

私たち東京コピーライターズクラブの会員は、
言葉を扱う仕事をしている。

だからこそ、言葉の「信じてはいけなさ」をSNSで学んでほしいのだ。

言葉を商品として扱っているのに、
「言葉を信じる」とか
「言葉のチカラ」などという言葉を口にするのは二重のダメダメである。

そもそも「力」という漢字は小学一年で習うのに、
書けないあたりは三重のダメダメダメである。

ちなみに三重苦という言葉は三重県生まれの人には失礼だと
前から思っていたが、面白いからそのままでいい。

私は、言葉の無力さ、でたらめさを知っている人の言葉だけを、
少し信じる。

そんな人は、きっと、こんな寒い雪の舞う日本にいても、
心はハウランド島でフローズンマルガリータを楽しめる人だからだ。

そろそろ飛行機の時間なので、
また日本でお目にかかりましょう。

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