リレーコラムについて

ノートやめました。

児島令子

2002年に私は、
「ワンジョブ・ワンノート制」というコラムを書いてます。
http://tcc.gr.jp/relay_column/show/id/767
ノート命!ノートがないと生きていけないとまで明言してます。
ミッフィーちゃんやプーさんが表紙を飾るB5サイズのノートに、
機嫌良く、日々コピーを書き散らかしていたのです。

2014年。
私のデスクに、引き出しに、バッグの中に、ベッドサイドにも、
ミッフィーちゃんはもういません。
プーさんも、スヌーピーも、マイメロもいません。
あんなにノートを愛した私なのに、、、、裏切り者。

私のノート行為は、
パソコンの中で行われるようになりました。
紙のノートに別れを告げ、デジタルに移行するとき、
なんか人として大事なものを失うのではないかと、
正直、一瞬の後ろめたさはありました。でも、一瞬でした。

そもそも私がやっていたノート行為は、
紙よりデジタルの方がず~っとふさわしいとすぐ悟ったから。

私は思考過程を全部残したいタイプのコピーライター。
なぜ残したいのか?
そのジョブのためだけではない。
他の仕事のためにも。未だ見ぬ次の仕事のためにも。

もちろん仕事というのはそれぞれ別々です。
でもそれは、仕事さんの方から見た話であって、
考えるのはみな同じ私であり、
私の方から見れば、どの仕事も同じ次元に存在していて、
いわば「まとめてひとつの仕事」って感じがあるのです。

ひとつひとつは違う仕事なんだけど、
ぐぐぐっと俯瞰で見れば、
「世の中に向けてコピーを書く」という、
同じひとつの仕事をしている感じなのです。
書きたいこと、表現してみたいことは、仕事の壁を超えている。

で、デジタルノートだと、仕事ごとの横断がスムーズですよね。
ひとつの仕事で考えた切り口や言葉たち。
そのちょっと気になるものを、すぐ別の仕事のノートにコピペできる。
いつのまにかどのノートにも、
同じ言葉がしつこく並んでしまってるってこともあります。
ファイルを開いたら、「ああ、またおまえか!」って。

というわけで、
ノート行為を完全デジタル移行して何が変わったか?

コピーライティングが、ますます内向化した。です。
自分の考えた言葉からインスパイアされて、新たな言葉を紡ぎ、
またその自分の言葉からインスパイアされて、新たな言葉を紡ぎ、
、、、、以下、無限無限ループ。

こんなことでいいのでしょうか?
みんなSNSなんかで情報や思考を共有したり拡散したりして、
いまという世界としなやかに繋がってる時代に。

現時点で問題は起きてないのですが、
そのうち自家中毒を起こすんじゃないかと心配です。

私は一昨年、earthのポスターで、
「自分の中にいる自分だけが自分ではないよ。」
というコピーを書きました。
まさに、自分に向けた戒めのコピーでした。

だけどひとつ反論するならば、
(なんで自分のコピーに反論するのか??)

自分の中にいる自分をとことんとことんつきつめれば、
それは他者の意識とつながっていくのではないか。

自分という井戸を深堀りしたその底でこそ、
他者と握手できるのではないか。

自分は世界のほんのほんの一部分に過ぎないと同時に、
自分の中にじつは世界は内包されてるのではないか。
(あ、しつこいですね。すみません。)

そんなことを信じて、
今日もせっせとデジタルノートを埋めている私なのです。

✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ ✤ 
本日、TCCからのメールで、鵜久森徹さんの訃報を知りました。
闘病中というのを存じ上げてなかったのでとても驚きました。
享年50歳。残念すぎます。
鵜久森さん、もっとコピーを書きたかっただろうなと思います。
今日もこうしてコピーが書けることを、こうしてコラムが書けることを、
私たちは改めて感謝してやっていきたいと思います。
昨日につづきまさか今日もお悔やみの言葉を書くとは思わなかったです。
鵜久森徹さん。心から、ご冥福をお祈りいたします。

去年の夏、鵜久森さんが書かれたコラムです。
コピー年鑑との出会いの話が書かれています。
https://www.tcc.gr.jp/relay_column/show/id/3441/page/1

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4581 2018.11.17 片岡良子 ひたち20号
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