リレーコラムについて

満足

藤本宗将

ちょうど2年くらい前、僕は社内の異動で
IさんというCDの部下になりました。

それまであまり大きな異動を
経験してこなかった僕にとって、
面識のない上司のもとで働くのは久しぶりでした。
新しい環境で自分が通用するのか、不安もありました。

そこでIさんに挨拶をしたあと、聞いてみました。

「僕のことご存知ないと思うんですけど、大丈夫でしょうか」

どんなコピーを書くのかもわからないと、
上司として仕事を任せにくいのではと思ったのです。

するとIさんはこう言いました。

「じゃあ、これまでの仕事のなかから
 自分が満足してるものを選んでいくつか見せて」

「満足、ですか?」

「賞をとったとか世間の評価じゃなくていいし、
 全体じゃなく部分的にでもいいから
 ここが自分なりに満足したなというものを」

満足した仕事。そう言われてちょっと戸惑いました。

もしかしたらIさんは
僕に目立った実績がないことを知っていて、
それでも見せやすいように
気を遣ってくれたのかもしれません。

でも逆に、「満足した仕事」を見せるのって
ハードルが高いともいえます。
こいつはこれで満足なんだ、と思われてしまうわけだから。

もちろんこれまで自分なりに頑張って
コピーを書いてきたつもりだし、
見せるものがまったくないということはありません。

でも、ほんとうに心から満足したと言える仕事があるだろうか?

そう考えると、なかなか思い浮かびません。
考えているうちに、情けなくなってきました。
10年以上もやってきたのに、なんということだろう。
なにを見せればいいんだろう。
数日のあいだ悩んだ末に僕がとったのは、
きわめてシンプルな方法でした。

(忘れたふりをしよう)

そのあとIさんとは
当然ながら毎日のように顔を合わせるのですが、
催促されなかったのをいいことに
その話には触れずにやり過ごしました。

自分で言うのもなんですが、まったくもって姑息です。

ただそのかわり、
あたらしい仕事は全力でやりました。
過去の仕事で認めてもらうのでないとすれば、
これからの仕事で認めてもらうしかない。
いっぱいコピーを書きました。
これで満足できるか?と自分に問いかけながら。

Iさんは結局、僕の過去の仕事を
ひとつも見ていないにもかかわらず
黙ってつぎつぎと仕事を任せてくれました。

その年の仕事は
競合で負けたり震災の影響で中止されたりして
かたちにならなかったものもあるのですが、
自分の中ではどれも満足感がありました。

そのうちのひとつが、賞をいただいたベルリッツの仕事です。

受賞が決まったあと
Iさんが飲みに連れて行ってくれたので、
ぜんぶ正直に白状して頭を下げました。

「すいません、あのときは忘れたふりをしていました。
 満足だといえるものがなかったんです。
 でもこの1年でIさんと一緒にやった仕事には、
 すべて満足しています」

Iさんから返ってきたのは、こんなひとことでした。

「俺そんなこと言ったっけ。覚えてねえや」

藤本宗将の過去のコラム一覧

3096 2011.11.25 かな
3094 2011.11.24 満足
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3092 2011.11.22 軽重
3091 2011.11.21 多少
NO
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