リレーコラムについて

面子が勃たない

篠原誠

こんにちは。シノハラマコトというものです。
これでリレーコラム3度目でありまして、
初回は10年くらい前に、なんとも胡散臭い話を書いてしまい、
2回目は、反省してまじめに「私の主張」を
下ネタもそこそこに、かかせていただいたのですが、
さて、今回は何を書こうかな。と書きながら考えております。
私、やればできる子なので、こうやって打ち始めると
だいたい何かが浮かんでくるのですが、
今日は調子悪いのかな。全然浮かびません。

だいたい私に、リレーのバトンを渡した小澤先輩!!!
今週は、ロマンチックウィークじゃないっすか。
先週のはじめの方のまだクリスマス色がない頃に
「バトン渡すね」と言われ、軽く受けてしまいましたが、
よく考えると、クリスマス。それも休日あり。
こんな世の中が浮かれポンチの時に、なにもリレーコラム書かんでも。
いや、別にリレーコラムを批判しているわけではないですけど、
でも、クリスマスには勝てないでしょ。何が?
いや、何がとういうよりも、何もかもが。
まあ、そんなこと愚痴っても仕方がないし、
愚痴で行数稼いでもノルマがあるわけでもなし。そうですね。
もう、クリスマスだから、そうですね。私が最近思うこと。
というか「老い」について書きたいと思います。

これはね、きっと20代以下の人にはイマイチわからない話だと
思いますよ。でもね。「老い」ってやつは突然、背中に
ぴったりくっついてくるんですね。これ。
もちろん、老いと言っても肉体的なものもあれば精神的なものもあり、
あと、肉体的なものの中にも、体力的なもの、精力的なもの、
持久力的なもの、回復力的なもの、勃つ硬さ、
角度、量、濃さなどなどあるわけですね。はい。
なので、一言で「老い」と言ってもいろいろなわけです。
そこで今週、このクリスマスロマンチックウィークに敢えての
「老い」をテーマに、いくつかの角度から思うところを
書いてみたいと思います。

で、で、本日は、「老い」の中でも「聞こえない」について
書きたいと思います。
これ「聞こえない」と書くと耳が遠くなったという肉体的話かと
思うかもしれませんが、そうではなく、これは、
最近、すごく思うことなんですが、歳をとると
聞こえなくなるというか、聞かなくなるんですね。はい。
または聞こえないふりをする。そして意固地になるわけです。
親父もおふくろも、どんどん頑固になるわけです。
CDもSCDもECDもEDになるわけです。はい。
でも、これ、本当は違うんですね。若い頃は、
「なんであのおっさんはわからないんだよ!!」
とか
「この人らはボケてんのかなぁ」
なんて若気の至りで思ったりしたのですが、
実は、全然ボケてないのです。聞こえているのです。
理解しているのです。
理解したうえで、
「どうでもええねん!」と思っているのです。
もうそんなこと何度も経験しとるねん!だったり
もうそんなこと残りの人生に影響せんねん!だったり、
もうそんなこともう、ええ、話終わり!だったり、
とにかく誰よりも理解したうえで、どうでもいいのです。
そして、まるで聞こえていない、理解していないふりをするのです。
つまりは、わがままになるということです。

それは多分、自分の人生だけが、時間だけが、
本当に自分のものであると気付くからだと思うのです。
そして、その時間が有限であり、カウントダウンに入っていることに
実感として気付くからだと思うのです。
だから、「聞こえない」という老化現象が現れるわけです。
そして、私もまさにこの「聞こえない」という老化現象の
初期症状に入っており、相当ずぶとく、わがままになりつつあり、
事実、このコラム、内容的にはまだまだ書こうと思っていたのですが、
今、食事に誘われ、この中途半端な状態でも終わりにしようと思います!
ここまで読んでくれた人の「え、内容薄!」
という声など、もはや私には聞こえないのですよ。これも
老化にてご容赦くださいませ。

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