リレーコラムについて

2000年

平石洋介

Hは、
地球最大の広告代理店である電痛に7年も勤めていながら、
TCCなるものは聞いた事もなかった。
カンヌ、は何となく知っていたが、
映画祭のついでにCMとかやってるんだろうな、ぐらいに思っていた。

クリエーティブ局の人間とは、あくまで業務の関係だった。
Hの属する営業局に比べれば、
クリエーティブ局の人たちは“クリエーティブ”でピュアだったが、
その“せまい”感じにヘキエキしていたのが、正直なところだ。

そんなH、30にして立つ。
そのクリエーティブ局への異動を企てた。
話せば長いが、一言で言えば、変化が欲しかったのだ。

とにかく、“クリエーター選抜試験”などという
高慢なネーミングにムカつきながらも、
だったらCRの奴ら全員受けろよ、コレ、と心の中で毒づきながらも、
Hは課題の作文を書き、願書をそろえ、
早くも神社で合格祈願をした。

しかし、思わぬ関門。
受験の承認、つまり当時の営業局長のハンコがもらえない事態に。
30歳、働き盛りの兵士の流失を阻止するのが、組織の長の役割である。

「なんでもこの試験、5〜60人受けて、受かるのは1〜2人らしいですぜ、局長。
 まあ、まず受からないでしょうから、記念受験という事で、1つ、ハンコを。」

Hは、マーケでの1年で会得した鋭いデータ分析力と
営業7年で培った巧みなトークを駆使し、見事難関を突破したのだった。

そこまでしたら、もう、落ちるわけにはいかない。

筆記試験の当日、Hは精神的に退路を断ち、
ラジオCMをつくれ、キャッチコピーを書け、CMのコンテを書け、等々、
すべてが生まれて初めての課題に、
いちいち途方に暮れながらも必死に取り組んだ。

久しく停止していた創造力をいきなりフル回転させたので、
最後の科目が終わった頃には、微妙に発熱していたほどである。
その日、携帯の留守電には15件のメッセージ。
働き盛りの営業はそんなものだ。

15の留守電を無視した甲斐があり、筆記を通過。
さらに、2回の面接(相手はCR界の重鎮の方々だったらしい)を経て、
ある日、ハンコを渋った営業局長から
「おいH、嫌な知らせだよ。」と合格通知を手渡された。

Hは、その後の事を良く覚えていない。
どれくらいの時が経っただろう。
その日も、いつものようにデスクでパソコンを見つめていた。
周りの人間は、誰1人Hに話しかけない。
1人だけスーツにネクタイ姿のHを警戒しているようだ。

シャンプーのいい香りがした。
総務課の人形のようにかわいい女子、平野綾子(仮名)さんが、
「Hさん、新しい名刺です〜」と、小さな箱を手渡した。

放置プレイに耐えていたHは、
ちょっと心が和み、箱を開け、名刺を取り出して、見た。

  電痛 第1クリエーティブディレクション局
  コヒーライター
  平石洋介
 

「…いや、コピーなんて書いたことねーっつーの。」

名刺にこっそりとツッコミを入れる、かわいい30男のHだった。

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