リレーコラムについて

「番号」が、ない。

佐藤弘美

1年目、ない、ない、ない、ない、ない、ない・・
2年目、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない・・
3年目、ない、ない、ない、ない、ない、あるわけない、
    ない、ない、ない、ない・・
4年目、ない、ない、ない、ない、(ない)、あった! ない、あった! ない、
    ない、あった! いかない・・ 

31敗3勝、1コールド負け、1延長勝ち、1不戦敗。
このタイトルと、この勝率にピンッときたら、僕とセイムな青春です。

じつは、僕、3浪なんです。ということは、4回も受験しているんです。
大学受験、ものすごく甘くみてました。それも、3浪の受験が終わるまで。
まさに、広辞苑に出てくるような、脳天気です。

現役時代・・ま、第1志望2校だけ受けてダメなら1浪すっかぁ。
予備校さえも、行ってませんでした。全敗。

1浪時代・・「俺、宅浪するよ、オヤジ」なんていいながら、
私大は3教科受験だし、夏期講習くらい通って、得意の日本史のばせば受かるな。
で、また第1志望2校の、偏差値の少し低い学部も今回は受験。全敗。

*夏期講習に行くため小平駅で、短髪の加藤君と待合せた、ある日。
突然、僕はトイレの個室に拉致られた。いきなり10円ハゲができたから、
この黒マジック(油性)で塗ってくれと。陽のあたる街へ出ると、
そこは虹色に輝いて、逆に目立ってしまっていた。本人には、内緒。

僕の第1志望大学に、1浪で合格した加藤君から、次の年に年賀状。
“いよいよだな佐藤、でも大学なんか入ってしまえば、どこも同じだよ。”
だって。まったく、説得力のない、励ましのお言葉でした。

2浪時代・・「俺、また宅浪するよ、オヤジ」なんていいながら、自宅から
電車を乗り換えて、週5日のレストラン洗い場のバイトを12月までやっていた。
手は洗剤で荒れたけど、鉛筆は持てるし。得意の日本史だけが異常にのびて、
大手予備校の全国模試で1番を取ってしまう。よっし、これで受かるな、と。
自信が、確信に変わる。(松坂か、お前!って、今あなた言いましたね)
第1志望2校に、滑り止めの第2志望を1校受験。全敗。
当時の僕の中では、滑り止めだった。今考えたら、恐ろしく難しい大学。
よくもまあ、と自分にあきれる、ホトホト。(トホホに似てますね)

上記、“あるわけない”のエピソード。
その自称第2志望(ミッション系)の、受験当日。1科目目は、英語。
“次の長文を読んで、以下の問いに答えよ。”
うっうそだろ、B4で3ページ位エンエンと長文が続く。
小林秀雄の文章を読んでいるように、1行目を読んで2行目に読み進むと
1行目の訳を忘れている。しかも、英語だ。受からない! 
このまま時間をムダにすると、明日からの第1志望の受験に
疲れが残ってはいけない。英語の途中で、僕は試験官に向かって挙手をした。
「すみません、具合悪くて午後の試験が受けられないので帰らせてください。」と
小声でささやく。「まっ、待ちなさい。前例を知らないので事務局に行って
手続きを確かめてきます。」・・・待つこと、10分。違う事務の人が来て、
校門まで付き添われ受験票を奪われ、晴れて解放。で、コールド負け。
いま帰るとお袋に怒られるので、喫茶店で試験が終わりそうな時間まで
カラダを休め、明日からの4連戦に備える。全敗。

3浪時代・・この年、妹が学校推薦で都立短大に合格した。兄ちゃんは男だから、
希望の大学に行ってほしい。だから、私はお金のかからない都立を選ぶ、と。涙。
全敗当夜、さすがの優しいオヤジが「これで、最後だ。ダメなら専門学校へ行け!」
ただし、必死で頑張るならお前が欲しかった一眼レフを買ってやる。
僕の次の言葉が、いけなかった。コンポのステレオ買ってくれるなら、
もっと頑張るから・・「バカ、今までいくら受験料払ってると思うんだ!」
予備校に毎日通う条件で、3浪が許可された。し、しかし、
1浪の赤川君と知り合い、喫茶店でモーニング食べながら時間をつぶし、
ゲーセン的カジノにいりびたる。たまに、代々木公園で健康的に、フリスビー。
この年、第5志望群まで、広げる。が、立て続けに4校落ちた。

その足で、美容学校とTVマン養成の専門学校の願書をもらいに。
けっこう面白そうじゃん、モテそう。サイアク、いいかも。

上記、(ない)は、後日電話で補欠合格。やった、延長勝ちだ。
まだ発表が残っているんで、入学金だけ払って、結局蹴った。快感っ。
高校は、1校しか受けなかったんで、初蹴り。オヤジ、ごめんな。
上記(いかない)は、入った大学の合格発表の後に試験があった。
現役からの第1志望・最終試験学部だったが、ここで力尽きた。プスッと、ガス欠。
絶対に受からないと思い、カモフラージュのため自宅は出たが、
喫茶店にて、のんびり欠席。1不戦敗。お袋、ごめんな。

今とても、卒業した大学に入って、よかったと思う。理由は、明日のコラムで。

PS. 僕が、ずっと第1志望だった大学の付属高校に息子が合格した夜。
トンビがタカを生んだ、瞬間だった。
お祝いケーキを買って帰宅したら、風呂に入っていた。
「おめでとう」と、息子のヌードが透けて見える扉ごしに声をかけると、
「パパのリベンジ、してあげたよ。」だって。豪雨、じゃなくて号泣。
僕の、長い長い30年におよぶ受験戦争が終わった。

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