リレーコラムについて

Us and Them

橋口幸生

みなさま、はじめまして。
TCC新人賞の同期であり、職場の先輩でもある山本渉さんから
バトンをいただいた、橋口幸生というものです。
仕事では、リクナビやGabaマンツーマン英会話、
TBCなどの広告づくりを手伝わせていただいております。
よろしくお願いいたします。

リレーコラムのネタを何にするか、かなり迷ったのですが、
人様に披露できるような波乱万丈な人生を送ってきたわけではないし、
仕事の話も意外と地味だったりします。
そこで、映画とか音楽とかを通して、
最近感じたことを書いていきたいと思います。

いきなりですが、先日「ランボー 最後の戦場」を観てきました。
今回は悪役がミャンマーの軍事政権という、やけに生々しい設定。
映画前半は、とにかく彼らが悪の限りを尽くします。
残虐描写はかなり壮絶で、映画というよりほとんど人体破壊ショー。
グロい映像がわりと平気な僕でも結構ビックリしたし、
そうじゃない人が見たら卒倒しそうなシーンが延々と続きます。

中盤からは、いよいよランボーの出番。
歳のせいか赤黒くぼこぼこになった、天龍源一郎のような肉体で、
ミャンマー軍がやってきたのとほぼ同じような残虐行為を、
ミャンマー軍に対して行うワケです。

不思議なのは、ミャンマー軍の暴力は見ていてイヤな感じがするのに、
ランボーのそれは、実にスカッと爽快に感じられてしまうんですね。
(アクション映画として、すごく良くできています)

ここで僕が思い出したのが、(うろ覚えで恐縮なのですが)とある軍人が
「何で戦争では残酷なことができるのか?」と聞かれて
「最初に“自分達”と“彼ら”を区別すれば、あとは簡単だ」と
答えたというエピソード。

たしかに「最後の戦場」は、徹底して
ランボー=自分達
ミャンマー軍=彼ら
という描写になっていて、
それがアクション映画としての爽快感につながっています。

でも、この図式は映画の中だけではなく、
僕たちの日常でも、いたるところで目につきます。
ヤヤこしいことが多い毎日、事実をきちんと紐解くより、
わかりやすい二項対立として理解したほうが楽だし、効率的です。
でもそのせいか、最近、世の中が
少し息苦しくなっているんじゃないかと思います。

人のちょっとしたミスにつけこんで、
異常にバッシングするような光景を、よく見かけますよね。

人間である以上、“自分達”中心に考えてしまうのは、
仕方が無いことです。
でも、だからこそ、“彼ら”の視点から物事を考える
努力をしなくては、いけないんじゃないでしょうか。

“クライアント”と“消費者”の視点を持たなくてはいけない
コピーライターはもちろん、すべての人にとって、
それはとても大切なことだと思うのです。

・・・なので、僕のコラムの内容がショッパくても、
どうか炎上とかしないよう、
あたたかい目で見守ってやってくださいませ。

5日間、よろしくお願いいたします。

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