リレーコラムについて

年齢多民族国家

佐藤義浩

というわけで、東畑幸多から引き継ぎました、佐藤義浩です。
東畑は名前がいいね。東の畑に幸多かれ。
名付け親(お父さん?)はいいコピーライターだと思いますね。

名前なんてーのは、単なる記号にすぎないわけだけど、
その人を判断する、たぶん最初の記号になるんで、
そういう意味ではキャッチコピーみたいなもんだよね。

最近は、子供の名前がどんどん奇奇怪怪になってる。
親が子供という商品にキャッチコピーをつけるとして、
しかも相当に長い期間使われるコピーだと認識していれば、
軽い気持ちではつけられないはずなんだけど、
まあ、素人だからな。
そんときの雰囲気とか、気持ちの盛り上がりとか、
ついつい筆が乗っちゃうことってあるんだろう。
キャッチーであることももちろん大切だけど、
好感度を上げることの方が重要だからな。

とはいえ、そんときの時代背景とか、流行みたいなのがあるから。
こっちが奇をてらってると思える名前が、実はいまどきの主流だったりして、
ボクみたいな年齢の人がいい名前だと思えるものが、
逆にすごく奇異だったりすることもあるはずだ。

通常の仕事でも、その商品のターゲットが自分の年齢と離れている場合、
同じようなむずかしさが、当然ある。と言うか、
自分と同じ年齢の人の気持ちしかわかんないのでは仕事になんないわけで、
その年代の人がどういう気持ちでいるのか、
それがわかってないと何も考えられない。

外国の広告と、日本の広告の違いを語るとき、よく、
海外は多民族国家が多くて、日本は単一民族だから、
外国ではいろんな民族が理解できるような表現、
日本はもっと深くニュアンスに頼る表現になる…みたいなことを言うけど、

実は今の日本は、民族的には単一だけど、
年齢層による物事への理解の仕方に、かなりの差があって、
ひとつの表現で、そのさまざまな年齢層に同時に受け入れられるのは
ものすごく大変、至難の業、のような気がする。

年齢多民族国家…と、個人的には呼んでるけど。

そんなこと言わなくても、ターゲット論ってのはもともとあるわけで、
そこを間違ってしまうと全く伝わらないのは昔から同じ。
なんだけど、その差は昔よりどんどん広がってる。

なんだか回りくどい言い方で申し訳ない…。

単なるターゲット論とちょっと違う、と思うのは、
作り手が、自分の年齢と違うターゲットの感じ方を理解できるか、ということ。
これは、単なる若者向け、とか、団塊世代向けにどう作るか、
ということではなくて、その年代によって同じものに対して、
全く違う感じ方をする、ということを理解して作っているかどうか。ということ。

たとえば今流行っているケータイ小説。
あんなの小説じゃない。とか、言うのは簡単だけど、
ボクらの世代から見ると、絵空事にしか映らない、
いきなりレイプされたり、妊娠しちゃったり、不治の病に犯されたりすることが、
彼らの意識の中では、対峙する現実として捉えられている、ってことで、
ボクらの現実と、彼らの現実とは、違うんだということを理解していないと、
そんな彼らに届くものは作れっこない。

とは言え、ターゲットの年代がはっきりしている商品の広告は作りやすい。
リクルートの山田悠子とか。狙いどころが狭いから。
その分、ちょっとしたことでもはずれちゃうんだけどね。

一番えらいのは、ターゲットの年代が広い商品で、
そのすべてに届く広告を作る人です。現実にはなかなかむずかしいね。
その中のどこかに狙いを絞らざるを得ないことが多い。
すべてに届けるためにはどうしても甘くなるしな…。

ところで、東畑んとこには最近息子が生まれたけど、
名前、なんだっけ…。

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