リレーコラムについて

遅咲き型社会

中治信博

先日、都内のライブハウスで坂上弘さんという歌手のステージを見た。
坂上さんは話題の人だ。何しろ84才の現役ラッパーなのだ。
交通事故にあって保険金がおり、それをキャバレー通いですっからかんになるまで使い果たしたという体験を「交通地獄」という曲にしてラップで歌っている。
ディープな会場は若い人も含めていっぱいだった。
尾崎豊の「卒業」もフルコーラス歌ってしまう。
「この人の言う大人たちって何才ぐらいかな」「105才ぐらいかな」というささやきが後ろの席から聞こえた。

今まさに脚光を浴びている坂上さんを見ながら考えた。
坂上さんはもしかすると今がいちばん輝いている時かも知れない。
とすれば彼にとっては、84才で人生のピークが来たことになる。
この生き方を何とか参考にできないだろうか。

「遅咲きの」という言葉は、これまで「ふつうはもっと若くして世に出るのにこの人は不遇だった」的な使われ方をしてきたが、
もしかして遅咲きは悪くないじゃないか。
むしろこれから、「遅咲き型社会」がいいんじゃないのか。

20才で頂点を極めて、あとずっと下り坂、というのは何だか辛そうな感じがする。
その点、80代でピークを迎える「逆L型人生」は楽しそうだ。
20代と80代と2回ピークがあるようなマクドナルド型(Mのマークをイメージ)もいいだろう。

遅咲き型社会の特長は「ゆとり」だ。
今がダメでも将来がある。
小説家を目指すのではなく、これからは遅咲きの小説家をめざせばいいのだ。
すると当面は気がラクだ。
勉強ができない子も大丈夫。遅咲きかも知れないから。
これから出てきそうな遅咲きの人々を予想してみる。

遅咲きのギタリスト、77才。
遅咲きの料理人、81才。
遅咲きのカーリング選手、90才。

それぞれ、2時間スペシャルになるぐらいのドラマがありそうだ。
何かみんな味があるぞ。

広告界ではどうだろう。
60才ぐらいでデビューしたコピーライター、という人はいないのだろうか。
団塊世代の定年が近づく今、銀行員をしていた人が自分の才能に気づき、フリーのコピーライターになってもおかしくない。
子育てをすっかり終えた主婦が、ある日キッチンで目覚めてアートディレクターになる、ということも考えられる。

というわけで金曜日。休み休みですみません。
せめてもう1回ぐらい書いてから次の人にお願いすることにします。

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