リレーコラムについて

素ってなんでしょう

宮坂和里

こんにちは。
博報堂のコピーライターの宮坂和里と申します。
「和里」と書いて「あいり」と読みます。
好きな味は酸味と塩味と辛味。好きなキャラクターはだいたい悪役。
名探偵コナンとLDHを長く愛しています。

 

3回目にしてしっかりめの自己紹介からはじめようかなと思いました。
というのも、一昨日投稿しようと思って書いていたコラムが、書き上がって読んでみたらあまりにもくだらなくて、くだらなくてというか一箇所もおもしろくなくて、いやべつにおもしろいと思って書きはじめたわけでもなかったはずなのだけれど、とにかくどうにもこうにも読めたものではない気がしてボツにしたのです。そうしたらもう何を書いていいかわからなくなってしまって。そもそもコラムってなんなんだっけとコラムの定義から検索してみたり、前の2本を見返してこれらもなにを思って書いたんだっけ?と困惑してみたり。迷宮の袋小路で身動きがとれなくなってしまったので基礎に戻りました。

 

おそらく私は、自分の本心に近い話をするのが得意ではありません。
それに気づいたきっかけは、入社一年目だか二年目くらいの頃に、トレーナーの菱谷さんに「素を出せ」と言われたことでした。
たしか、CMの企画出しのあとのアドバイスの一部だったと思います。
「あいり、もっと素を出したほうがいいよ」
穏やかな言い方でした。
でもわたしは突然宇宙に放り投げられたような気持ちになりました。
「素を出す」のやり方が皆目検討もつかなかったからです。
覚えている限り、「素を出そう」とか「素で生きよう」と意識した経験が一度もなかったからです。
「今の私、素でいられてるな〜」と実感するようなこともありませんでした。
しかしだからと言ってずっと素を出せていないと感じていたわけでもなく。
そもそも「素」について考えたことがありませんでした。
でもたしかに言われてみれば、思い当たる節がありました。

 

もともと、過剰に大人に媚びるタイプの子どもでした。
幼少期の習い事も運動も勉強も、それそのものが好きというよりは親や先生に褒めてもらうための手段でした。
食べものや音楽の好みも、多くを母親のそれに同調して寄せていました。
祖父母の家に遊びに行ったとき、「あいちゃんは幼稚園で好きな子はいないの〜?」とニコニコ笑顔の祖母に話を振られ、「好きな子がいることを望まれている」と判断し、適当な男の子の名前を口にしたこともありました。
さらに、「ちょっと照れながら言ってみて〜」というリクエストにもお応えして、斜め下に視線を逸らし、座布団に人差し指でのの字を書きながらもう一度その男の子の名前を言いました。今思うと気持ちの悪い子どもです。
将来の夢に関しても、小学校の高学年あたりから「大学でなんらかの資格を取りつつどこかの企業に就職したい」と思っていながら文集などには頑なに「幼稚園の先生になりたい」と書きつづけました。
そのほうが無難だと思ったからです。
子どもの夢として正解な感じがしたからです。
中学校の時の卒業文集は、架空の夢の話だけではスペースが半分しか埋まらなかったので、あと半分にはEXILEのSomedayという曲の歌詞を書きました。

 

振り返れば、いわゆる素みたいなものを表に出すことに対して徹底的に逃げ腰だったのかもしれません。
というか、とにかく間違えるのが怖くて、正解を探してしまっていたのではないかと思います。
臆病者ここに極まれり、という感じです。
その癖が、きっと今でも染み付いているのでしょう。
菱谷さんに「素を出せ」と言われて反射的に頭に浮かんだ考えも、「どう振るまえば素を出しているように見えるだろうか」でした。だ、ダメすぎ〜。
この「素を出せ」が、新入社員時代の一番難題だったように思います。
あれから4年、私生活でも企画でも素を出す努力はしているつもりですが、うーん、どうでしょう。
まだまだ苦手な気がしています。
これからも頑張ろうと思います。

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