リレーコラムについて

人生を変えてくれたジャスティン。

春田凪彩

TCCの入会の際に、僭越ながら
「Justin Bieberと会えるまではこの業界で頑張っていきたいです!」
と書かせていただきました。

ジャスティンビーバーは、
人生で1番影響を与えてくれた人です。

彼がまだ15歳くらいの時。
YouTubeで「baby」のPVを見て、衝撃を受けました。

金色のふわっふわの髪、
天使のような歌声、
笑いかければ女の子が
卒倒するようなカリスマ性。

世界中のティーンと同じように、
私もその1人でした。

「ママ!この人誰?!
好きになったかも!!」

謎の宣言をしてから、
まだ少ないYouTubeにあがっている彼の動画をしらみ潰しに見ていきました。

好きになって半年くらいの時、
習いたての英語を駆使して、人生で初めてのファンレターを送りました。

Hello Justin.
I am a 14 years old girl in Japan.
I love you very very very much !!!!

初めての国際郵便。

“日本と違って宛名は右下に小さく書く”とか、これほんまに合ってるん?!と思うようなルールに悪戦苦闘して、
なんとか、祈るようにポストに投函しました。

 

半年後、

 

母「なぎ、なんか外国から届いてんで」

母の手に持ってたのはオレンジ色のデカめの封筒。

頭が真っ白の状態で封を開けると、

 

なんと、あのジャスティンビーバーから、
サイン入りのポスターが届いてたのです!

人生で振り返っても1番嬉しかったです。

 

そこからはもう、彼が今どこで何をしているのかリアルタイムで追いかけ、
口を開けばジャスティンジャスティンしか言わないインコのような人間になってしまいました。

おかげであだ名が
ナギティンビーバーになりました。

もちろん、ライブで来日した時には
海外のファンクラブに入って最前列を確保。

汗まで見えて、
手を伸ばせば届きそうなのに、
その10cmには途方もない溝があることに気がつきました。

 

私の人生は、ズンズンと変わり始めます。

 

まず、わかりやすく外国かぶれになりました。

濃いアイシャドウを塗って、
レザーのパンツを履いて、
みんながぱっつん前髪で可愛らしいプリクラを撮っている中、
私は「SWAG」と言いながら中指を立てていました。

 

もちろん、いいこともたくさんありました。

 

当時、思春期真っ只中で
心はトゲトゲ。成績は学年最下位。
トラブルも多い時期でした。

だけど、
ジャスティンビーバーにであってから全てがどうでも良くなり、
彼の全てが知りたくて、歌詞の一言一句を和訳して、
YouTubeに上がっているバラエティ番組まで理解したくて、
必死に聞き取り力をつけて…

そしたら、
初めて英語という得意科目ができたのです。
そこから成績も、少しづつ伸び始めました。

そして、高校3年生の冬、
なんとなく関西の大学に行こうと思っていたとき、

 

突然、ジャスティンが来日したのです。

 

でも、出現場所は原宿。

当時の私には、東京なんて、果てしなく遠い街。

 

大阪でツイッターに張り付いて、
出現情報を見ているしかありませんでした。

あんなに恋焦がれたジャスティンが来てるのに、
何もできない自分が悔しくて悔しくて、

 

その日に東京の大学に行くことを決めました。

 

もし、14歳の時、
ジャスティンビーバーに出会ってなかったら、

もっと気が弱くて、
ずっと勉強が嫌いなままで、
今も大阪にいたと思います。

東京に来ていなかったら、
コピーライターなんて職業もきっと知らなかった。

くすんでいた自分の人生をここまで連れてきてくれた彼には、心から感謝しています。
なんか正直、元カレみたいな気持ちでいます。

 

いつか、ジャスティンビーバーに、
今度は直接伝えてみたい。

 

I love you very very  very much !!!!!

 

これは私の人生の、最後の夢なのです。

 

今日はコピーの話をしようと思ってたのに
ジャスティンビーバーの話をしてしまいました。
やっぱり、推ししか勝たんです。

読んでくださって、ありがとうございました!

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