リレーコラムについて

世界にひとりの職人

中里耕平

2023年5月のある朝。曇り空の渋谷。
宮益坂の指定された場所で、ぼくはマイクロバスに乗り込んだ。
車内には年齢も性別も、そして国籍もさまざまな人。
無言で揺られること1時間あまり。
千葉県内のとある工場についた。
その中の一室で、ぼくたちはブルーグレーの作業服に着替える。
この建物の中で、今日は夜まで過ごすことになるのだ。

といっても、工場バイトを急に始めたわけではない。
この日ぼくは、映画の撮影に来ていた。工場員の役として。

ぼくがこの20年ほど、最も多くの仕事でご一緒してきた
会社の先輩プランナーの荒木伸二さん(TCC退会済)は、いま、映画監督でもあります。
40歳を過ぎてから本格的に脚本の勉強を始め、公募の賞などを受賞し、
2020年に「人数の町」で監督・脚本作でのデビューを果たしました。

この日はその長編2作目「ペナルティループ」の撮影に、エキストラとして参加しに来たのです。

ちなみに荒木さんは仕事仲間や友人知人に
「5月X日かY日の撮影、どっちか来れる人、ぜひ来てねー」
と誘っていたのですが、
「中里くんはどっちかというとX日に来てほしいかも」となぜかご指定が。
後から聞くと、Y日のほうの撮影は、ボウリング場で遊ぶシーンのエキストラ。
そっちは、仲間とのハイタッチが自然にできるような陽キャっぽい人に限定したかったようです。
おい…!と思いましたが、まあ、ぼくが監督でも、ぼくはX日に呼ぶと思います。笑

その日の現場には、そうした監督の身内エキストラと、
事務所に登録しているいわばプロのエキストラが、半々ぐらいいたように思います。

工場の社員食堂でのシーンでした。
20人ぐらい集められた、社食に見立てた部屋。
そのとき荒木監督は、別の場所で別のシーンの撮影中。
その間、助監督の方がリハーサルというか、エキストラたちの動きをつけていきます。
「じゃああなたは最初の立ち位置、そこ。あなたはそのへん。んーそこには、じゃああなた」
と、おそらく絵的なバランスなどを考えて、助監がエキストラたちを配置していきます。
このとき「たまたま」ぼくにあてがわれた配置が、このあとのお話につながります。

「じゃああなた、その位置から、よーいスタートで歩き始めて。
で、持っている食器とトレイをあそこで置いて、一拍待つ。
そのあと、部屋の後方のドアへ向かって歩いて行ってください。
廊下側の窓に、廊下を歩いてくる男性が見えると思います。
その男性が部屋に入ってくるのとドアのところで鉢合わせるけど、なりゆきで、すれ違って出て行ってね」
…む、むずかしい。

よーいスタート。
言われた通りにやってみます。
すると、「一拍待つ」のところが短すぎたのか、そのあと普通に歩いていくと
廊下を歩いてくる男性よりも早めに部屋を出ていくことになり、
鉢合わせにならないことが歩きながらわかりました。
年に数回は機転が利く日があるぼくは、この日がちょうどその日で、
途中から歩みをだいぶ遅くし、廊下の男性と同時ぐらいにドアに着くように調整しました
(この歩いている部分はカメラに映らないアングルです、念のため)。
がちゃっ。
ドアを開け、ちょうど廊下から入ってくる男性とすれ違います。
なんか、すごい目力で男性から睨まれます。
…この時点まで聞いていなかったのですが、この男性の役は、伊勢谷友介さんだったのです。

助監督「はい、いいですね。その感じでもう一回やりましょう!」

次からは「一拍待つ」のところを、5秒ぐらい待つ、いや10秒、いや8秒…
と試行錯誤を重ね、
立派な「伊勢谷友介と同時ドア開け職人」となったぼくは、
安定した技術を身につけてリハーサルを終えました。

そして前のシーンを終えた荒木監督が合流して、撮影が始まりました。

よーいスタート、テクテク歩いて、ポンとトレイを置く。8秒数える。
またテクテクテクテク歩いて、ドアをガチャ、伊勢谷さんギロッと一瞥。そそくさと出ていく中里。

いい感じです。
これを別のアングルから撮ったりもするので、何度かやります。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

一流のプロというのが大体そうであるように、
ものすごく難しい演技を、そうは微塵も感じさせずにぼくはこなし、
伊勢谷さんやその他の役者さんもさすがの演技で、撮影はスムーズに進みました。

さて、ここで思い出してほしいのですが、この映画は「ペナルティループ」。
いわゆるタイムループものの一種なのです。
ということは。
この場面の出来事自体も、何度もループして起こるというわけです。
そして当然、それぞれのループを何度かずつ撮ります。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

よーいスタート。テクテク。ポン。8秒。テクテクテクテク。ガチャ。友介ギロッ。そそくさ。

これと、あと数回ぐらいでしょうか。もう何回やったのかは覚えていません。
ぼくはこのシーンを演じきりました。
その後、別のシーンなどにもちょこっと参加し、夜までの撮影を終えました。

後になって、はたと気づいたのですが、
助監督さんは、ぼくが未経験の素人エキストラだと知らなかったのではないでしょうか。
事務所から派遣されてきた熟練のエキストラだと思っていたのではないか。
そうでないと説明がつかないぐらい、あの安定の演技を当然のようにして進んでいた気がして。
「あなた、初めてなのになかなかうまいねえ」と言われなかったので。
後日それを荒木さんに言ったら、苦笑してました。
ぼくが褒められたい病なだけなのかもしれません。
もしくは前世が甘やかされてた犬か。

映画というのは編集時の検討でカットされる画が多いので
集まったエキストラで全然映ってない人も多いのですが、
ぼくはたまたまその役回りのおかげで「一番映ってる」と監督に言われました。
「ペナルティループ」、面白いのでぜひ配信などでご覧ください。

いつか偶然、どこかのドアで伊勢谷さんと入れ違ったら。
また無限のループに入りそうでこわいです。

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