リレーコラムについて

兄弟

田中泰延

同じ部の後輩であり、隣の席に座っている田中真輝から
コラムをリレーしてくださいと言われた。
まったく意味が分からない。
三省堂「EXCEED 英和辞典」をひもといてみた。

【column】 円柱(状の物)

リレーといえばバトン、バトンといえば円柱状と決まっている。
運動会なのか。
わたしはじわじわとリードを取りながら左手を後ろに差し出していたのだが
田中真輝は文章を書けという。
いよいよ意味がわからない。

その田中真輝は先週の最後にこのように書いたのだった。

「えー、来週は、マイビッグブラザー、田中泰延さんです」

驚愕の告白である。
わたしとこの男は兄弟だったのか。
確かに同じ「田中」姓ではあるが、
事態は混迷を極めている。

「えー」というのはしかも、感動詞である。
どのように感動したというのか。

三省堂「大辞林 第二版」によれば

【ええ】(感)
(1) 肯定・承諾を表す時に発する語。はい。
(2)喜び・怒りなどの強い感情を表す語。
(3) 疑い・驚きなどの気持ちを表す語。
(4)話の初めや途中で、言葉に詰まった時につなぎに発する語。

私はこの中で
(3)疑い
に着目した。

カラマーゾフ型、シャープ型、ムラサメ型、ピンカラ型など
兄弟は学術的に様々なタイプに分類されるが
このような猜疑心をともなう兄弟関係というのはなんなのだろう。

かつて日本船舶振興会(現・日本財団)の
テレビCMのコマソンにこのようなものがあった。

「世界は一家、人類は皆兄弟」

すばらしい。首肯できる。
しかし、高らかにそう謳った直後に

「戸締まり用心、火の用心」

と続くのであった。

何という油断のならない兄弟であろうか。
兄弟なのに戸締まりをしなければならないのだ。
田中真輝の発した「えー」が
わたしへの疑いを表す語であることは、もはや否定できない。

しかし田中真輝はとなりに座っているのだ。
もうすこし心を許し合ってもよいではないか。

わたしは心を穏やかにするために聖書をつづった。
このようなときのために信仰はあるのではないか。
イエスはこう言っている。

「汝の隣人を愛せよ」

すばらしい。わたしは隣の席のこの男を愛さねばならない。
しかしイエスはすかさずこう言っているのだった。

「汝の敵を愛せよ」

三段論法を駆使するまでもなく、

「隣人は敵か」

という疑問がただちに生じるのだった。

兄弟と名乗り、隣に座っているこの田中真輝という男、
いよいよ油断ができない。

興信所に依頼した調査結果もふまえて
明日も引き続き兄弟の問題について考察を続けたい。

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