リレーコラムについて

Part-Time Joy

曽原剛

大輔は、二度寝が得意じゃない。

あともう1時間寝られたらと考え始めると、逆に目が覚めてしまう。

だから結局今日も目覚まし時計でセットした時間よりも

20分早くベッドから起き上がることになった。

 

トイレを済ませ、寝グセを直すためにシャワーを浴びる。

薄毛の原因は頭皮が硬くなることからよ、と元同僚の咲ちゃんから聞いたので、

シャンプーしながら入念に頭皮マッサージもしてみる。

さて、今日の僕は何者なのかなと考えながら。

 

シャワーを終え、タオルを肩にかけたまま、クローゼットの前に立つ。

昨日はフライドチキンで有名なファストフードの店員だった。

他の従業員と何かを話すたびに、「○○は、xx卒だからなあ」と

学歴を異様に気にする店長と、帰宅しても体中から抜けていない油と

スパイスの匂いが、ちょっと苦手だった。

 

こんな毎日が始まって、8ヶ月くらい経っただろうか。

朝、ベッドの左側の壁に設置されているクローゼットを開くと

1着の制服だけがハンガーに掛かっている。毎日、毎日、全く違う制服が1着だけ。

 

自分が持っていた他の洋服はいったいどこに消えたのか、

誰が毎日入れ替えているのか、みたいな初歩的な疑問はもう考えるのをやめた。

会社員が同じスーツを着て毎日出掛けるのと同じように、

大輔は毎日、違う制服を着て仕事に向かう。

行き先は、だいたいポケットの中に入っている社員証とか名刺で

わかるというのも最初の1週間で学んだことだ。

 

「これは、何のユニフォームだ?」

 

濡れた髪をタオルで拭きながら開けた今日のクローゼットには、

鮮やかなブルーのポロシャツ、それと同じ色のキャップ、ナイロン素材のチノパン、

そして膝下まであるゴム長靴。見たことあるような気がするけど、

パッとは思いつかない。

 

ポロシャツの胸元のロゴを見ると、魚のイラストと“Aquarium”の文字がある。

そうか、水族館だ。イルカの調教師とかかな。

水族館なんて10年以上も行ってない大輔は、いつもよりワクワクしている。

でも数秒後には、泳ぎが上手くないこととか魚臭そうだな、というような

ネガティブ思考が頭の中に広がっていく。

そういう彼の性格は、毎日仕事が変わっても変わらない。

 

彼がこの生活を始めて最初の1週間で気づいた、もう一つ大事なことがある。

それは、大輔のことを誰ひとりとして覚えていないということだ。

どんな仕事をしても、どんなに誰かと仲良くなろうとも、

次の日になれば全てがリセットされてしまう。

道路工事の交通整理の仕事を終えた次の日に、その現場の前を歩いても

誰も大輔のことには気付かない。缶コーヒーを奢らされたマサさんも、

お弁当のおにぎりを分けてくれたトシコさんも、全くだ。

むしろこっちが見ていると、睨み返されるくらいに他人になってしまっている。

 

今日の職場の水族館に向かう途中、大輔は、

世界で自分の中だけにしか存在しない思い出を振り返っていた。

駅員の仕事で痴漢を捕まえた駅を通過するときも、

保育士の仕事で子供たちに泥だらけにされた公園や

定年近くの警官の武勇伝を聞いて一日が終わった派出所を通り過ぎるときにも。

 

正直、寂しいとか虚しい気持ちが勝つことの方が多い。

誰も自分のことを覚えていない毎日を生きるなんて、想像してみてほしい。

でも時々、彼は思う。逆に考えると、大輔だけがみんなのことを知っている事になる。

ひょっとしたら一人分以上の人生を自分は味わえているのかもしれないと。

 

「おい、遅刻だぞ!」

 

いろいろな思いや考えに耽りながら歩いていたら、

始業時間よりも遅れてしまったらしい。

他の従業員は皆それぞれの業務をスタートしている。

 

「すみません。今日は・・・」

「今週から入場制限緩くなるから、客席しっかり掃除しておいて」

 

そうか、水族館の清掃員か。

よかった、イルカと一緒に泳ぐなんてことしないで済んで。

 

ふとイルカショーの大きなプールに顔を向けると、

イルカの調教師がちょうど餌のイワシをあげているのが目に留まった。

 

「あれ、あの人は・・・」

 

大輔の視線に気づいたその調教師がこちらを向いた。

前に美容師で一日一緒だった咲ちゃんにそっくりだ。

そして一瞬、彼女が、大輔に微笑んだように見えた。

 

*****

 

1年以上のリモートワークが続いていると、

毎日Tシャツにスウェットで過ごしてしまっています。

クローゼットを開けて、今日は違う格好でもと思っても、

結局同じ洋服を選んでいる自分がいます。

その割にはこんなにたくさんの洋服が・・・いっそ全部断捨離か?

そしてこれだけ人に会わないで過ごす毎日が続くと、

ふと自分はもはやこの世に存在しないで、

パラレルワールドに来てしまったのかもなんて思ったりも。

そんなときに頭をよぎったストーリー(の始まり)でした。

 

何となく、深夜枠のドラマとかでありそうかなと思ったり、思わなかったり。

曽原剛の過去のコラム一覧

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