リレーコラムについて

コピーを書く原動力、僕の場合、恐怖。

中道康彰

求人広告をつくりはじめて1年目の夏。
東大阪のとある工場を担当することになりました。
もちろん無名の会社。ゴウゴウと機械の音がこだまするなか、
油まみれになって働く技術者の新卒募集です。
「こんな会社に大卒の技術者が来るわけないやん・・・無理やで」
正直、そんなふうに思っていました。
でも、社長にお会いしてみると、
何も知らんくせに、わかったような理屈を並べている自分が、
思いっきり恥ずかしくなりました。

貧乏で小さなアパートに5人家族で暮らしていた日々のこと。
機械工からはじめてやっとの思いで独立するまでのこと。
やっとのことで工場が軌道にのったとき、
信頼していた従業員にお金を持ち逃げされたこと。
下請けで叩かれ続けていたとき、自社製品の開発に成功する夢を毎晩見たこと。
そして、ついに完成した自社製品が、外国に輸出されて
世界的にも高く評価されていること。
そして、なぜ、大卒の技術者が必要なのかということ。
社長の話は何時間も続きました。

で、最後に言われたのが「あんたに頼むしかない。プロやろ、あんた」というひと言。
何とかしたい。自分の腕で、あの社長を救ってみせる。
今思えば、恐ろしいことに、あの時の自分には、確かに自信もあったのです。
数日後、出来上がった原稿を持って、僕は社長に胸を張ってプレゼンしました。
「さすがやなぁ。うちの会社のこと、うまいこと言うてくれてる」
もちろん一発OK。ほぼ完全に、プロ気分。

求人広告のコワイところは、結果が明らかになるということです。
数日後には、どんな人から何人の応募があったかが、ハッキリとわかってしまうのです。
やがて、会社説明会を行なう日がやってきました。
忘れもしません、JR大阪駅に直結しているホテルグランヴィアの会議室。
似合わないスーツを着た社長と僕は1時間ほど前から部屋で待機していました。
どんな学生が来てくれるかなぁ、アタマは悪うてもやる気のある子やったらええのに・・・などと、
社長の期待は膨らむばかり。

結果はお察しの通りです。
何時間待っても、誰ひとりやって来ませんでした。
期待を裏切ってしまった人と、無言で向き合うことのつらさ、情けなさ。
しかも、それが3日連続・・・。
広告代だけでなく、ホテル代も合わせて1千万円以上の投資が、水の泡になりました。
なのに、社長は僕を叱りませんでした。
もちろん、「あんた、しょげんとがんばりや」と言ってくれるほど、
美談であったというわけではありません。
ただ、ただ、言葉を失ったように、社長は無言で僕の前から去って行かれました。
そして何年たっても、お取引を再開していただくことはできませんでした。

僕はずいぶん前から、モノを書くという仕事につきたいと思っていました。
広告というより、何かを言葉で伝える仕事につきたかったのです。
その機会を与えられたとき、僕は幸せな気分でいっぱいでした。
でも、そんなことがあってからしばらくは、
書くときにはいつも恐怖がつきまとうようになりました。
「今度もあかんかったら、どないしよう・・・」

その後、僕が、曲がりなりにも、
求人広告の世界でやっていけるようになったのは、
あのとき「結果が出てしまうことへの恐怖」というものを、
骨の髄まで感じたからだろうと思います。
それは、自分の能力への不信にもつながりました。
でも、その一方で、自分の能力を信頼できるような自分になりたいという、
不思議なモチベーションが、僕の中に生まれたのです。

さて。
思うままに書いてみましたが、
こんなストイックなコラムはあきませんね。
僕、ほんまに暗いんですよ・・・。
ごめんなさい。

では、また明日の晩に。

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