リレーコラムについて

西村佳也さんといた夏。その3

斎藤春樹

ミセス・ロビンソン

そこは港区南青山。
二人は住友銀行ビル近くの寿司屋にいた。
いまのエイベックスビルの裏手。
よい子の通学路「長者丸通り」に面した小さな店だ。
カウンターの向こうで、王貞治が笑っていた。
壁の写真だけどね。
「あらっしゃーっ!」
大将が気持ちのいい声で我々を迎えてくれる。
先ほど写真で登場の王さんご贔屓の店だった。
先客のアベックがアンタたち誰?みたいな目をした。
ような気がした。
おまけに男の方は禁煙パイポを口にくわえてるではないか。
パイポのせいにはしたくはないが、俺の心が火を噴いた。
俺の心の叫びが始まった。
その目はなんだよおおお。この田舎者!
あ、サイトウ君。炎上。いまの言葉、炎上ですから。
知らない誰かの声がした。
この人を誰?だとおおおお?
どうせお前ら、このあと円山町でアレだろうが。この不倫野郎!
いまの時代、またまた炎上。ですから、その台詞。
俺はともかく、この人は「触ってごらん、ウールだよ」。
いやいやサイトウ君。Nさんはウールじゃないよ。人間。
「何も足さない、何も引かない」の人なんだよ。
サントリーの山崎なんだよ。
あ、それダメ。山崎さんて、誤解されますから。
確かにそうとも言えた。
しかし、そんな俺の過剰反応なんて関係なしに、
ガラスケースには美味しそうな寿司ネタが並んでる。
「Nさん、来る頃なんじゃないかって思ってたんですよ」
と大将が言う。
刈りたての短髪が青々としてる。
井泉通りの床屋ニューラインに行ったばっかりだ。
「ここのしんこを食わなくちゃね」
季節は夏。
Nさんがアツアツのおしぼりで手を拭きながら言った。
しんこ?悪いがそんな知り合いはいない。
俺のクラスにも、生まれ故郷にも、
しんこなんて子はいなかった。
はんこの間違いか。この店では実印がないと食えないのか。
王さんがまた笑ってる。写真だってば。
自慢じゃないけど、
寿司屋のカウンターなんかに座ったことはない。
それだけで俺の心は浮いていた。
こんなことが生きているうちに我が身の上に起ころうとは。
白木のカウンターが、
空母カールヴィンソンのように大きく見えた。
ググ、グワーン!
RQ-4グローバルホークが俺の目の前を横切っていく。
隣に座っているNさんが遥か遠くにかすむ。
「赤身、白、貝、とりあえず切ってもらおうかな」
Nさんが言う。
赤?白?紅白歌合戦か?
王さんが、また笑った。でも写真だってば。
「食べたいもの頼みな」
キメ細かな水滴に包まれたNさんのビールグラスが俺を見てる。
ガラスケースには今日の寿司ネタがずらりと並ぶ。
さあ、何から食べよう。
ギュル、ギュルルルルー。
さっき乗っていたタクシーのタイヤの音がする。
本当の瞬間はいつも、死ぬ程恐いものだから、
逃げ出したくなった事は今まで何度でもあった。
甲本ヒロトの声がする。
武蔵と小次郎が波打ち際で睨み合う。
じりっじりっと間合いを図る。
巌流島の死闘の始まりのような、
張りつめた空気が寿司屋を、いや日本中を包む。
このきんちょーかん。あ、漢字の方がいいですよね。
何億もの観衆が俺を見つめている。
死んだおふくろがこっちを見てる。
高校のときに付き合っていた愛子ちゃんが遠くで手を振る。
サイモンとガーファンクルのミセス・ロビンソンが流れる。
ドローンで撮った青山上空の夜景が、画面一杯に広がる。
箸で切れるとんかつの井泉が、
三浦和義が愛したイタリアンのハンターが、
有限会社西村佳也企画室が、
青山4丁目のマルボロの看板が、どんどん小さくなって行く。
ああ、ああ、どうしたらいいんだ俺は。
神様、俺に明日なんて
やって来るのでしょうか。と言いつつ明日へ。

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