リレーコラムについて

スポーツみたいなもの

大久保日向子

リオオリンピックが終わりました。

祭りのあとは、やはりもの寂しい気持ちになるものです。
まだ無意識のうちに、
深夜のライブ中継を探している自分がいます。

開催中は、時間が許す限り
日本選手たちの試合を見届けていました。
といっても、技や戦略を詳しく理解している訳ではありません。
ルールだって、かろうじて知っているくらい。

にわかファンもいいところです。

それでも思わず見入ってしまうのは、
選手たちが見せる表情のせいでしょうか。

スポーツに打ち込んだ者だけに、見える景色がある。
彼らの顔は、その事実を物語っていました。

ほぼ文化系まっしぐらだった自分にとっては、
無縁の世界です。
うっかり授業でスポーツに手を出して、痛い目に合う自分なんかには。

応援しながらも、
どこか距離感を感じて試合を見つめていたとき、
不思議とある記憶が呼び起こされました。

それはなぜか、スポーツとは程遠い、
そろばんにまつわる記憶だったのです。

通っていたのは、小学生のころ。
今思えば、修行みたいな日々でした。

ひと通り基礎を習得し、ある程度検定に合格したら、
あとはずっと大会を見据えた実践練習。

正確さとスピードをあげ、
時間内で少しでもいい点をとるために
ひたすら玉をはじき続けました。

先生は生徒をめったにほめない、気難しい方でした。
今でも教室で焚かれていた蚊取り線香の匂いをかぐと、
先生を思い出して背筋が伸びるほどです。

結局、地区大会レベルではある程度結果を残せたものの、
全国レベルで通用するには至らず。

自分の中では、すこしほろ苦い経験として
胸の奥にしまっていました。

そんな記憶を、なぜ今になって思い出すのか。

そこで、気づきました。
私にとってそろばんは、
まさにスポーツみたいなものだったのだと。

個人戦があって、団体戦があって。

ライバルがいて。

スランプがあって。

大体報われなくて。

でもなぜか、やめられなかった。

そうだ、私の人生にも、きっとスポーツがあったのだ。
そして、いい顔をしていたに違いないのだ。

…そんなことを、緊張感のかけらもない身体で
夜な夜な考えてしまう私は、
やはりただの甘っちょろいやつなのかもしれません。

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