リレーコラムについて

もっちー

石本香緒理

永遠に私の味方。
私のいちばん好きな人。
思い出すと、いつも、
胸をえぐられるような気持ちになる。
この瞬間も、涙が出てくる。

ラスト。

もっちー

家族の中でいちばんウマが合うのが
おじいちゃんだった。
家族からも親戚からも、
私とおじいちゃんは
変わり者扱いされていた記憶がある。

いっしょにテレビでプロレスを見ているとき、
おじいちゃんは、私の背中(服の中)に、
自分が鼻をかんだティッシュを
よく押し込んできた。
みんな、おじいちゃんのことを頑固だと言っていたが、
私にとってはユーモアのあふれる人だった。

二人とも通販が大好きで、
通販雑誌を見ては、私はおねだりした。
欲しいものは、ぜんぶ、おじいちゃんが
買ってくれた。

二人で遠くのショッピングモールに出かけては、
スイカを買って、帰りのドライブインで食べた。
志村けんさんのスイカの食べ方を真似したくて、
いつも大きいのを買った。

クリスマスは、おじいちゃんが通販で買ってくれた
北欧のハードケーキが、いちばんうれしかった。
お母さんが買ってくる生クリームのケーキよりも
なぜかうれしかった。
味とかそういうんじゃなくて、気持ちがうれしいというか。

中学生のとき、部活が終わった後、
トラックで迎えに来てくれて、
二人でラーメンを食べて帰った。
持ってくるとき店主の指がスープに入っている、
と有名なラーメン屋。
お母さんは嫌っていたけど、
私とおじいちゃんにはそんなの関係なかった。

高校生になっても、
トラックで迎えに来てくれた。
すごい何度もクラクションを鳴らして
私に合図していた。
友達も私も苦笑。
でも、なんだか誇らしかった。

大学生になって、県外で一人暮す私に、
おじいちゃんはこまめに手紙をくれた。
家族の中で、唯一、手紙をくれた人。
字が、本当にきれいだった。
いつも、手紙には、1万円が挟まっていた。
郵便でお金なんか送っちゃいけないのに。

私は、手紙を一度も返さなかった。
よくて、電話するくらい。
電話さえしないときもあった。

社会人になって、
実家にあまり帰らなくなった。
父母とは別棟に暮す
おじいちゃんやおばあちゃんとは、
帰っても会わないことが多くなった。

29歳の夏。
久しぶりに帰った実家。
あっという間に戻る日がやって来て、
毎度のごとく、おじいちゃんとは
ひと言ふた言しゃべっただけだった。

実家からの帰り道、車を運転していると、
子どものころ使っていた近所のバス停に
おじいちゃんが立っていた。

こんな時間にバスは来ないはず。

暑い中、バスを待ち続けるおじいちゃんを見ていると、
心がキューっと締め付けられた。

「何しょーん?」私は、窓を開けて声をかけた。

「年金をおろしに行きたいじゃが。」

おじちゃん、杖ついていたんだ。そのとき知った。

「送るわ。」

「すまんのう。」

もう運転しなくなって何年も経つのに、
おじいちゃんは、昔みたいに得意顔で
近道を教えてくれた。

私は、涙をこらえながら運転した。

JAバンクに着いたけど、
おじちゃんは車からうまく降りられなかった。

やっと降りることができると、
「ありがとう。助かったわ。」と元気に言った。

「大丈夫?一人で行ける?」
「帰りはどうするん?」
私は心の中で、今までごめん、と思いながら、言った。

「大丈夫じゃけー。もう行けえ。」
おじいちゃんは面倒くさそうに言って、
手で追い払うそぶりをした。

歩いていく背中は小さくて、ゆらゆらしていた。

私は、もう帰るのが、おじいちゃんの尊厳な気がして
車を発進させた。
おじいちゃんへの感謝と後悔で、声をあげて泣いた。

その1ヶ月後、おじいちゃんは倒れて、
少し入院して亡くなった。

病院には何度も行ったけど、
あの夏の日がなければ、
私はいろいろちゃんと心にとめることが
できなかったと思う。

悲しさと後悔を埋めることはできないけど、
たった1回おじいちゃんを車で送ることができて、
ほんの少しだけ救われた。

葬儀のとき、家族や親戚に、
おじいちゃんが送ってきてくれていた手紙を見せて、
おじいちゃんのことをみんなで語った。
ほんの少しだけ救われた。

そして、私を、
またほんの少し救ってくれたのは、広告でした。

ちょうどその時、葬祭の広告を手がけていて、
新聞広告やポスターのボディコピーに自分の気持ちを
書きました。

広告なのに自分の気持ちを書くというのは、
ちょっとずれてる気がしますが、
言葉は、やっぱり自分の人生の中からしか
出てこないんだなと改めて実感できたんです。

私の関わった広告で、言葉で、
誰かの気持ちがほんの少しでも救われたらいいな、と
いつも思っています。

公務員になれと言い続け、
広告の仕事というと怪訝な顔をしていた
おじいちゃん。
あなたにコピーライターとして
大切なことを教わりました。

いまの私は、あなたでできています。

本当に、本当に、ありがとう、おじいちゃん。

次は、速水さんにバトンを渡します!
名古屋、東京でお会いしたご縁です!

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