リレーコラムについて

NYで白い粉の入った袋を投げつけられたことについて

勝浦雅彦

ずいぶん前のことになるのだけど、
「誕生日はひとりで海外で過ごす」と決めて実践していた数年間があった。

いつごろか「誕生日」というものがどうにも苦手になってしまい、
祝われるのも「あ、いや私のようなもののためにケーキとかホント大丈夫でやんす・・・」
といったテンションだし、さりとて、ひとりでぽつねんと部屋にいると何か落ち着かない。

その解決策が、「海外でひとりで誕生日を迎える」だったのである。
自分以外全員ストレンジャーの極端な非日常のなかで、
誕生日という現実を静かに受け止めてみよう、という趣向である。
字面だけみるとハイソだが、消極的なことこの上ない海外旅行である。

夏休みは基本取らず、
GW明けくらいから「僕は9月末はいません!いません!いません!」
とイエローモンキーのように言い続けてようやく実現するこの旅行。
ちなみに僕の誕生日は9月22日。
毎年いわゆるシルバーウィーク期間にかならずかかるので、
連休にしやすかったのである。

その年は、NYに行くことに決めた。
後述するが僕は中毒なくらい演劇・舞台が好きなので、
本場ブロードウェーのステージを見まくってやるのだ。

長い連休がとれたので、NYのホテル事情を鑑みても、
ここはドミトリーを借りたほうがよさそうだ。
ほうぼう探したところ、
日本人のマダムが経営している週貸しのドミトリーがブルックリンにあった。
直前まで、キャンセル待ちでヒヤヒヤしたが、無事に宿を確保。

準備は整った。消極的かつ、ショウビズ的な旅のはじまりである(押韻)。

9月のNYは気候もよく、快適だった。
ドミトリーはキッチンが付いていたから、近くのスーパーで食材を買って料理したり、
アメリカらしくそこかしこにフェンスで囲まれたバスケットコートがあったから、
そこでサッカーボールを蹴ったりしてまずは異国での生活のリズムを整えた。

毎日ブルックリンからマンハッタン島に地下鉄で渡り、まずはひとしきり観光。
ヤンキースタジアムでの観戦(当時まだ松井選手がいた)、
自由の女神やSOHO、MOMA、メトロポリタン、グッゲンハイムの各美術館。
セントラルパークではジョギングも楽しんだ。
そこには『ニューヨーク、恋人たちの2日間』の舞台を、
ひとりで謳歌する東洋人の姿があった。

そして、メインのブロードウェーである。
中野ブロードウェーではない、本物のタイムズスクエアである。
もちろん中野ブロードウェーも素晴らしいが、
ここまでの圧倒的な劇場群はない(当たり前だ)。
立っているだけで興奮するのは、ここがショービジネス界の夢と冷酷な現実が交差する
巨大なパワースポットだからだろう。

ブロードウェーのチケット料金は、当時で平均1万円というところ。
タイムズスクエア近辺にボックスオフィスがありそこでチケットが買えるのだが、
Tktsという安売りのショップでは、
店頭の電光掲示板で株価のようにその日のチケットの余り具合で変動する価格が表示され、
25%-50%引きで購入できる。なので、ここで毎回購入していた。
NY市街で電光掲示板を見上げる、という行為は「未来は今」の冒頭みたいで、
ワクワクしたのを覚えている。

滞在日程も半分を過ぎ、
「Mamma Mia!(マンマミーア!)」と「Wicked(ウィキッド)」を観劇し、
さて、今日は何を観ようかな、と思案していたときのこと。

『地球の歩き方』をペラペラめくっていたら、こんな記述を見つけた。

「ラッシュチケットについて」―

読めばラッシュチケットとは、
公演当日のお昼に劇場前で、舞台最前列のチケットを抽選で売る、というもの。
しかも、約20$と激安である。つまり、ちょっとしたイベントなのだ。

こちとら気楽な旅行者。時間はたっぷりある。チャレンジしてみようという気になった。
ラッシュチケットがある劇場を調べると、おお「Rent」がやっている。よし、ここだ。

お昼に劇場につくと、公演まではまだ時間があるのに、人だかりができている。
5、60人はいただろうか。
みんな『地球の歩き方』を読んで集まってきたに違いない。
・・・そんなわけないか、
ラッシュチケットはかしこいニューヨーカーのたしなみなのかもしれぬ。

やがて、劇場の奥からちょっと陽気なシルクハットを被った、
フォレスト・ウィテカーみたいな黒人の係員が出てきて、ハットをとると、
「今から紙を配るから、名前を書いてこの帽子に入れろ」という。
それが抽選方法なのだ。なんか、この一連のシステムもちょっとオシャレだ。
名前を書いて、フォレストにウィンクしながら紙をハットにいれた。
もちろんウィンクは心の中でだ。
実際にしてしまったら、
フォレストの性的嗜好によってはあらぬ誤解を受けないとも限らない。

その時点ではラッシュチケットの割り当て枚数が決まっていないらしく、
1時間後に再集合と言われる。

タイムズスクエアの吉野家で昼食をとり(今はもう無いそうです)、
ぶらぶらしたのち再び劇場前に集まると、
「オーケー、今から幸運な15人を読み上げるぜ」と、
登場したフォレストがエンタメ感たっぷりに叫んだ。

15枚とはけっこう少ないんだな・・・。
フォレストは次々と当選者の名前を読み上げていく。
アメリカ人はもとより、中国や東欧系の名もある。さすがメルティングポット。
そんなことをぼんやり考えていたら、
ついに15人目の名前が呼ばれてしまった。

はたして、僕の名前は呼ばれなかった。
あーあ、と思ったが、もうその時点で「Rent」をどうしても見たい、
という思考になっていた(そもそも、それが目的のイベントかもしれない)ので、
しょうがないTktsで買うか・・・と、その場を立ち去ろうとした刹那、
「オーケー、みなさんちょっと待ってください!」
とフォレストが再び叫んだ。

「先ほど当選された方のなかで、3名ほどいらっしゃらない方がいます。
追加でコールしますので、呼ばれた方はこちらにいらしてください」

なんと、当選者で再集合していなかった人がいたのである。

フォレストが最後に読みづらそうにコールしたその名前は
「ラスト、あー、マサシコ、カチュラー」
僕だった。まさにNY7番街の奇跡が起こったのだ。

フォレストとがっちり握手し、チケットの引換証を受け取る。
ありがとう、フォレスト。グッドジョブだ、フォレスト。
ウインクしておいてよかった、心の中で。

そして、この後、
勇んで劇場に入った僕にちょっとした事件が起こるとは、
僕も、もちろんフォレストも知る由もないのであった。

チケットの表示に従って劇場内の通路を進むと、
そこはたしかに最前列の席。
かなり中央から見て右端に寄ったポジションなのはご愛嬌だろう。
なかなかブロードウェイの舞台を最前列で見る事などできないのだから。

ここで「Rent」という舞台について少しふれると、
1996年が初演のかなりメジャーなミュージカルである。
日本でも毎年キャストを変えて各地で上演されているので、
名前くらいは聞いたことがある、という人も多いのではなかろうか。

NYの倉庫で暮らす様々な若者たちのデカダンスな生き様と、
そこに存在する現実(失業、ゲイやレズビアン、ヘロイン中毒、そしてHIV陽性など)
を描いた、ニューヨーカーにとっては「our musical」と呼ぶべき名作である。

内容は、期待に違わず、歌もダンスも素晴らしいものであり、
肉眼でくっきり見えるミュージカルスターたちの所作にすっかり引き込まれていった。

…だが、事件は公演中に起きた。

麻薬中毒に苦しむマークを諌めた仲間が、彼から麻薬の袋を奪い取り、
「こんなもの、やめちまえ!」と放り投げる場面。

役者が放り投げた麻薬の袋が、
パーン!と最前列にいる僕のアタマを直撃したのである。

そこまで痛くはなかったが、その瞬間「ええーっ」と思った。

舞台って、そういう投げた物が観客に当たらないとか、
ちゃんとシュミレーションをするものではないのか。
いや、これだけの公演回数を経た舞台、そしてここは訴訟社会のアメリカだ。
そこはぬかりないだろう。
これはものすごいイレギュラーな状態だ、ある意味、ついてる!
最前列冥利に尽きる!

と妙に興奮したまま、舞台の終わりをむかえたのである。
カーテンコールが終わり、余韻にひたっていると、ふと、
「あの麻薬の袋の小道具はどこに行ったのだろう」
という疑問がわいた。

あたりを見回すと、どこにもない。
劇場内もそこまで明るくないので、床もぼやっとよく見えない状態だ。
普通なら、野球場のファールボールよろしく係員が
終了後すぐに飛んできて探し始めそうだがその気配もない。
首をかしげながら劇場を後にした。

そして、ドミトリーに戻り、手提げ袋を整理していたところ…。
「あっ」と思わず叫んでしまった。
なんと、小道具の麻薬の袋がそこにあったのである。

どうやら、僕に当たったあと、手提げに滑り込んだらしい。
持って帰ってきてしまったことを後悔したが、
いかんせんこれは不可抗力というやつだ。

しげしげと、手元で見つめると刑事ドラマに出てきそうなわかりやすい麻薬の袋で、
白く厚いセロハン紙のようなものが三角に折られてテープで止められている。
やはりわかりやすくないと、麻薬の袋に見えないもんな、と妙に納得した。

その袋を手元でいじっているうちにやがて、日付が変わり誕生日を迎えた。
「これはいい土産ができた。本場ブロードウェイの小道具だなんて、ああ、
神様誕生日プレゼントをありがとう」
と、そのときは思ってしまったのである。

翌日は、夜にエンパイヤステートビルに一人で登り、
ほとんど恋人同士しかいない屋上から夜空を見上げ、
映画「摩天楼はバラ色に」を思い出しながら自分自身を祝った。
孤独でけれんみのない素晴らしい誕生日だった。

時計は短距離走者のように進み、やがて帰国する前日となった。

荷物と想い出の端々を片付けていると、
ふと、ずっと枕元に置いておいたあの白い袋に目がとまった。
もちろん日本に持って帰るつもりでいた。

しかし、あるエピソードがアタマをよぎったのである。

黒澤明監督の「蜘蛛の巣城」。
三船敏郎に監督は小道具として、本物の矢を射かけたという。
あの全身の周囲に矢が刺さる名シーンは、
その緊迫感のなかで撮影され、三船敏郎は本気で死を覚悟したとか。
後日、三船敏郎は酒に酔ったとき、その時の恨みを思いだし、
銃をもって黒澤監督の家におしかけたことがあるのだそうだ。

黒澤監督の「神は細部に宿る」こだわりをよく象徴する逸話だが、
枕元の袋を見るうちに、

「これ、本物だったら、どうしよう…」

という考えが頭をもたげはじめた。

ブロードウェイに世界のKUROSAWAと
同じ感性をもっている演出家や小道具アーティストがいてもおかしくない。
いや、むしろいないほうが不自然だ。
彼らがリアリティを追求するあまり、本物の麻薬を使っていたら…。
帰国前日だというのに一気に不安が襲ってきた。

それまで部屋の風景に等しいただの白い袋だったものが、
ドミトリーの空気を完全に支配してしまったのである。

結局、翌日の早朝、空港に向かう前に劇場に寄り、
エントランスの窓口のところにそっとその小道具を置いておいた。
まだ誰も周囲に人はおらず、もちろんフォレストもいなかった。
朝の劇場はがらんとしてまるで廃墟のようだった。

なんだかスッキリした気分で、スーツケースを引きながら振り返ると、
去りゆく街、NYはいつか見た絵葉書のように水蒸気で煙っていた。

結局、あの小道具が本物だったかどうかは、わからずじまいだったが、
この話には続きがある。

ジョン・F・ケネディ空港につき、出国手続きをした直後。

搭乗者全員には行われないスーツケースの中身を開示する
セキリュティチェックに、なぜかどんぴしゃで当たってしまったのである。
シュワルツェネッガーのような屈強な係員に、鍵を開けろと言われ、
かなりくまなくスーツケースの中を調べられた。

もちろん、何も引っかかる事無く出国できたのだが、
もし、あの麻薬の小道具が見つけられていたら・・・。
さっと血の気が引くシュワルツェネッガーの顔を僕は想像した。
それがたとえ偽物だったとしても、
確実に、無事には出国できなかったであろう。

まかり間違ってそれがKUROSAWA的な本物だったりしたら、
日本のみなさん、グッドバイである。
強制的に太宰治だ。桜桃忌だ。

拘束され、入手元を吐くまでひたすら「ユージュアルサスペクツ」みたいに
取り調べられ続けられたはずだ。あの劇中のケビンスペイシーのような機転は
当時の僕にはなかった。今も無いけど。
とにかく、助かった。

そう、今思えば神様からの誕生日プレゼントは、
この命拾いだったのかもしれない。
そして天国のKUROSAWA監督、ありがとうございました。

それ以来、誕生日は日本で過ごすようになった。
毎年やってくる、9月22日。いやー、ケーキとかホント素晴らしいですよね、うん。
人並みに記念日を過ごすことの良さが、ようやくわかってきた今日この頃である。

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