リレーコラムについて

後輩という残酷な生き物について

勝浦雅彦

みなさんどうもこんにちは。
佐藤舞葉ちゃんからリレーコラムを引き継いだ勝浦です。

前回のコラムがいつなのか振り返ったら、
5年余も経過していたことがわかりました
(歳月は利根川のように静かに着実に流れる)。

その間、九州から旅立ったり、東京で路頭に迷いかけたり、
電通グループとして三社目の今の会社に軒先を求めたり、
そのせいか「電通グループ内の旅人」という変なあだ名がついたり、
といろんなことがありました。

おかげで一部の人々からは「謎の人」となってしまっていたようです。

ちょっと前ですが、
CCN(コピーライターズクラブ名古屋)の審査員をやらせていただいたときに、
先輩から「九州を出た勝浦くんが今何をしてるのか、諸説出てるよ」と言われ、

①電通関係のどこかに入った
②博報堂など電通以外のどこかに入った
③独立した
④広告業界から足を洗った
⑤死亡説
⑥勝浦?誰それ?

という噂が出ていたようです。⑤に関しては、
「そうか、俺もついに志村けんや高橋名人と同じフィールドに立ったか!」
…と、ひとりごちるわけもなく、みんな他人のことは好き勝手言うなあ、
とつくづく思ったものです。どっこい生きてます、あしからず。

でもその、「うっかりすると、何をやっているのかわからなくなる謎の人」
というのはこの仕事の悪魔性のようなものを示しているような気もして、
ちょっとカッコいいかもしれませんね。
想像がかんたんにつくような生き方やそれに付随する仕事は、
えてして、そんなに面白くないかもしれないですから。
心理学のツァイガルニク効果ってやつですね、
まあ、そこまで謎めいた生き方をしたいわけではありませんが。

少なくとも、この先の生き方に関してはまだまだ旅は続きそうです。

さて、枕はこれくらいにして、
後輩の舞葉ちゃんから、コラムのバトンをもらったときにふと思う事がありました。

「舞葉ちゃんが下ネタを書いてるだろう」という推測は、
数年前に行われた「電通サッカー五地区戦・北海道大会」夜の宴会において、
いろいろ丸出しになっているステージ上の男どもを、
微動だにせずに食い入るように見つめていたその姿からでしたが、
それは本題ではありません。

「後輩という残酷な生き物」について語ってみたいと思います。

とあるADの先輩と仕事をしたときのこと。

その仕事はコピーライターが有名なIさんで、僕をプランナーとして
指名してくれて、そこに敏感にいい仕事の匂いをかぎつけてきた
若手ADのMさんが加わり、
「じゃあ、CDはどうしようか?」という話になりました。
そこで全員で一斉に仕事をしてみたいCD、できればAD出身、
の名を挙げたのですが、全員一致で、Gさんの名前が上がりました。
「後輩女子から頼まれたらイヤとは言えないだろう」というやらしい算段のもと、
その場でMさんに電話してもらったところ、
酔っぱらってベロベロだったGさんから快諾の返事がもらえました。

後にそのプロジェクト中にGさんに
「あんな頼み方をしてしまって、失礼ではなかったですか?」と聞いたこところ、
「とんでもない、後輩にCDを頼まれるなんて最高に嬉しいよ!」
とおっしゃったのです。それは僕にとっても印象深い答えでした。

九州にいたときは基本、仕事のやり方が個人商店であり、
後輩が下につくことがほとんどありませんでした。

ところが東京電通に行ったとたん、
すさまじい人数の「後輩」が同じ部署にいる状況を経験することになりました。
そして「後輩が下につく」というほぼ初体験の状況を日常的に、
戸惑いながら過ごすことになったのです。

やがて気づいたのは、
彼らは組織の中でひたむきに努力をしながら、なかなか報われない存在であり、
まだ組織のドグマに染まらない瑞々しい感性と、同時に傲慢さをまとっていることでした。

その傲慢さの正体は、
ひとことで言えば、「堂々と自分自身を棚にあげられる」ことです。

うまくいかないのは、若いからだ、経験をさせてくれないからだ、
組織でのポジションの問題だ、自分ののびしろに気づいてくれないからだ…。
その論理は、彼らを「組織の中で苦悩する若きウェルテル」に変えます。
それは、中年がしゃべればただの酒場の愚痴にしかならないものだったとしても。

ああ、かくも、若さとは美しいのです。

そして彼らはその瑞々しい感性のもと、先輩を残酷に値踏みするのです。
有名か、無名か。賞をとってるか、とってないか。自分にとって優しいか、厳しいか。
『Nobody Knows the Trouble I’ve Seen』のメロディは、彼らには響かないのです。

振り返って自分の二十代はどうであっただろうか。
きっと大差はなかっただろうと思います。
今思えば、責任やしがらみが無いことをいい事に、
先輩に対して好き勝手なことを言いまくっていたような気がします。
あのとき、矢面に立っていた先輩をたちをほんとうに助けるようなことが
出来ていたのか、と。

しかし、その若さ故の傲慢さのようなものは、
かけがえのない宝だとも思うのです。

少なくとも万物の法則に従ったとき、
年を重ねた経験と実績のある人間に対して若者が抗える部分は、
残り時間が多い事、いずれあなたたちが朽ちるときに我々は確実に生きている、
あなたたちの常識は、いつか時間とともに私たちのものに取ってかわられる、
変えてみせる、という強い確信と意志であり、
それが大きな世代交替を引き起こす原動力となってきたのではないでしょうか。

僕らの世代は、企業でいうと中間管理職にあたり、
後輩であることと、先輩であることの二面性の中で生きる事を求められます。
その流れのなかで、僕ら三十代はどうすればいいのでしょう。

後輩を怖がってはいけないのです。
時に自分たちのやり方に納得しない、彼らの冷たい視線に耐えながら、
歴史が証明する避けがたい世代間の断絶と向き合い、
『ラマンチャの男』のように「在るべき姿」のために戦わなくてはならないのです。

そして優秀な後輩には、恥ずかしがらず嫉妬すべきです。

僕が尊敬してやまない漫画家の手塚治虫先生は、非常に嫉妬深かったことで有名で、
後輩の大友克洋先生や、藤子不二雄先生にムキになって、敵愾心をもったコメントをしています。
そればかりか、新人漫画家にも相当ライバル心を燃やしていたみたいです。
あの「漫画の神様」が、です。
レーニンの後継者スターリンは、ソ連の軍隊をゼロから作り上げた天才的な軍人、
トゥハチェフスキー将軍に嫉妬し、最後には粛清してしまっています。
それがどれほど祖国にとって損失かをわかっていても、感情を抑えられなかったのです。

ただでさえ、優秀な先輩だらけなのに、この上、後輩にまで。
しかし、それが何かをつくることの「業」であり、「健全な嫉妬」こそがよりよいものを
生み出していくのだと僕は考えています。誰もが物分かりのよいオトナになる必要なんてないのです。
もちろん、粛正なんかしちゃダメですけど。

後輩に頼られ、頼まれる存在であること、
そして同時に、越えがたい、鬱陶しい壁で在り続けること。

やがて三十代が終わろうとしている僕にとって、このコラムを頼まれたことは、
それを強く意識する、いいきっかけになりました。
(鬱陶しいのはさておき、越えがたい高い壁では全くないのが辛いところですが)

二十年近くほぼ同じ顔ぶれで君臨し続ける諸先輩方の遠い壁と、
後ろから迫りくる壁に、正しく焦り、正しく嫉妬し、
少しでもこの世界がよい方向に向かうようなものを作れたらな、と思う次第です。

そんなこんなで、今週のコラム、よろしくちゃんでーす!
(最後に、とってつけたように親しみやすさを醸成してみました)

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