リレーコラムについて

ポップアップタイムスリップ

村田俊平

リレーコラムの話をいただいて、
いい機会だから、
自分が広告業界で働くことが決まったときに、
何をしていたかを振り返ってみることにした。
我ながらマジメである。

なんとなしに内定をもらった時分のことなどを
ネット検索していると
ふと、上がってきたDMMのポップアップに、
懐かしい女優を発見。
(というか、この時点で、
心折れて違うサイトに行っている。)

いや、懐かしいというのは僕が感じただけで
実際彼女は今でもバリバリ現役でやっているらしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

幼い時からテレビ番組が好きだった。
正確に言うと、バラエティ番組。
天性のザッピング能力で、なぜか、同時間帯の番組の内容を
複数にわたって把握することができた。
90年代の大体のバラエティ番組は覚えている。
今、その技術が使えるなら、同じ時間帯にいくつも打ち合わせを入れられるのに。
多分…、CMを飛ばしまくっていたのだろう。

そんで、当然自分は将来テレビ局で
働くものとばかり信じていたのだが、
そんなに人生は甘くない、
ということで、キー局はすべて不採用。

ただ、そんなに人生は苦くない、ってんで、
「テレビという箱の中で、映像を作る点ではおんなじ」
理論で、合わせて志望していた、
CMというか広告の会社が僕を拾ってくれたのだった。
僥倖…!

就職より、さらにさかのぼること10か月。
ちょうど内定が出た直後、くらい。
僕はバイトしていたテレビ番組の制作会社を
クビになろうとしていた。
いや、クビというのは人聞きが悪い。
事実はむしろありがたい話で、
「仕事があったら誘うから、
経験のためにほかのところで働いてれば?」、と。
不況で仕事が減ったため、気を利かせてくれたのだ。
何とも懐の深い会社である。

1か月後、なぜかAVの会社でバイトを始めることになる。
いや、AVと言っても誤解しないで欲しい。
オーディオビジュアルじゃない。
あっちの方である。
(別に、ヤバいルートで来た仕事とかではありません。)

先の制作会社に引き続き、
こちらの担当の方も大変に懐の深い方で、
僕が、業界に就職の意向はないこと、
あくまで映像の勉強として、
雇ってほしいことをびくびくしながら伝えると、
むしろそんな経験至上主義のキッズの心意気を
買ってくれて「来週から来い」と。

そこからは、AD、いや、もぅ一個階級の下の、
アシスタントADとして、
出演者のお世話をしたり、
撮影に必要なグッズを先輩と一緒に買い出しに行ったり、
疑似○○の作り方を覚えたり…と、
一生使える仕事上の心得や、
一生使わない業界独特の知識、
色々なことを教えてもらった。

変わった人が多かったが、そんな人たちの中では、
普通の学生の僕の方がよっぽど変わっている。
溶け込むのには気を使った。
厳しい人もいたが、面倒みてくれる人もいて、
どんな形であれ、映像制作のチームに
入れてもらえていたことが、心底うれしかった。

他にもたくさん教わったことがあるのだけれど、
詳しく書けないのでまた今度。

最終的には僕が、
試験だの修論だのでごちゃごちゃ言い出したため、
半年を待たずしてクビになる。
こちらは文字通りクビである。

そんなことをしていたら、
いよいよ、学生生活が終わり、
社会人になるときが、来たのだった。

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冒頭、DMMのポップアップに
出ていたのは僕が初めて現場で
仕事を与えられた時の女優である。

当時、10代の女子校生役を
やることが多かった彼女には、
もはや「熟女」というタグがついていた。

あれから、そんなに経つのか。
今、ありがたいことに立派な賞までいただいて、
あの頃の自分に教えてあげたい。
10年後の自分はそれなりにちゃんとやっているよ、と。
映像の仕事はまだ面白いよ、と。

口淫矢のごとし、
間違えた、
光陰矢のごとしである。

村田俊平

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