リレーコラムについて

ある時はオタク、ある時はヤンキー。

難波功士

 さて、大学教員になった以上、教壇に立たざるをえません。広告論だけでは許してもらえず、半期広告についてしゃべって、もう半期は「コミュニケーション論」やら「メディア文化史」やら「ポピュラーカルチャー論」などを担当してきました。人づきあいが嫌いな人間が、コミュニケーションについて講じろと言われても、さて、どうしたものやら。
 でもまぁ、目の前にいるのが大学生なので、彼・彼女らが興味を持ちやすいネタを選ぶことにしました。モバイルメディア(当時だとポケベル!)やファッション雑誌、ポピュラー音楽といった話材です。他の人の研究を参照しつつ、泥縄で乗り切っていました。

 そうした自転車操業の日々からの転機となったのは、2002年度のスコットランド暮らしです。6年勤めたご褒美ということでもないですが、大学からの留学制度に応募して、うまい具合に日本から脱出し、さらに教務・校務からの逃亡を果たしました。いわゆるサバティカルというやつです。もともとサバティカルというのは、布教のために辺境の地に送られた宣教師を、数年に一度は本国に呼び戻し、充電期間を与えるといったことだったよう。ミッション系の大学に勤めたので、その辺の制度はけっこうしっかりしてました。学生たちからしてみれば、「オレたちゃ未開の民なのか!」ということになりますが。
 で、スコットランド暮らしですが、もう、ただただ楽しかったです。某大学にビジティングスカラー(訪問研究員)として受け入れてもらって、教師でも学生でもない、謎の東洋人として1年間キャンパスに棲息しました。格別やるべき仕事はないけど、無職でも無給でもない。夢のような毎日です。でもまぁ、何かまとまった研究成果を出さないと、ヒンシュクはかいます。さて、どうしたものやら。広告論や消費社会論には、正直ちょっと飽きていました。
 というわけで、スコットランドで読みふけっていたのは、英米圏の若者文化研究というやつです。
 私は1961年生まれなので、高校時代がロンドン・パンクないし初期パンクの真っただ中です。留学した2002年は女王陛下の金婚式にあたる年でしたが、1977年の銀婚式の時には、テムズ川の上から「ノー・フューチャー!」と叫んだ人たちがいました。大学に入ったら映画「さらば青春の光」で、モッズリバイバルです。最近の学生は、「さらば青春の光」と聞いても、お笑いコンビしかイメージできないようですが。
 イギリスだと、テッズ(テディボーイズ)を始め、モッズvsロッカーズとか、パンクス、スキンズ(スキンヘッズ)、グラム、ゴス、メタル(ヘッズ)などについての研究の蓄積があります。クラブカルチャー研究・レイブカルチャー研究や、カリブ海やインド亜大陸からの移民たちの若者文化研究も盛んでした。アメリカまで視野に入れると、ビート(ニクス)、ヒッピー、デッドヘッズ、サーファー&スケートボーダー、ヒップホップ(カルチャー)、グランジ、スタートレッカー(もしくはスタートレッキー)などなど。おもしろいやないかぁ~と、それら研究成果を、へらへら眺めてました。あとは、レンタカー借りてB&Bを泊まり歩き、廃城を見学したり、蒸留所をまわったり。クルマを運転する際には、人間よりもウサギ・ハリネズミ・羊・鹿に気をつけて、という日々でした。
 言葉の壁さえなければ、天国なんですけどねぇ(最初、「英語さえなければパラダイス」と書きかけました)。周囲に英語の本しかないので、仕方なくそれらを読みましたが、別に海外のことを研究したいわけではありません。日本でもこんなことをやればおもしろいのでは…と、スコットランドでもやもやと妄想していました。

 そして日本に帰り、数年かけて『族の系譜学』という本を書きました。太陽族から始まって、みゆき族、フーテン族、1970年代に入るとアンノン族に暴走族、80年代にはクリスタル族やら竹の子族。そういえば、オタクも当初は「おたく族」でした。そして、80年代後半に渋カジ族。「なんだそれは?」という向きも多いと思いますが、街などにたむろする、大人たちにとってはちょっと理解不能な若者たちを「○○族」と括る言い方は、多種多様にありました。
 しかし、90年代に入ると、チーマーやらコギャル(アムラー)、渋谷系に裏原系と、「○○族」は消滅していきます(ヒルズ族ってのはありましたが)。さてそれは何ゆえだろう、そうした若者たちのありように、どのような変化があったのだろうか。てなことを、ウネウネ考えていく本です。また、70年代、暴走族という言葉が、警察用語・マスコミ用語として定着した頃(それ以前はカミナリ族・サーキット族など)、「ヤンキー」という呼称も発生しました。そのことについて、ちょっとふれたりもしました。
 それ以降、雑誌や上京やメディア論や闇金ウシジマくんや米軍基地や就活などについて本を出してきましたが、ベースは『族の系譜学』です。なのでいまだに、「1970年代の××連合の集会の映像が残ってるんですけど…」とテレビ局に呼ばれたり、「○○でボンタン(改造制服)狩りがあったんですが、なぜまだそんなことが…」といった取材が新聞社からあったりします。と思えば、「おたく30年を振りかえって原稿を」と依頼されたりします。今年に入ってからだと、「空き家問題」の対談に呼ばれたり、『児童心理』という雑誌に「小学生のネット利用」について書いたり、通信社の記者さんに「今年の夏もリク(ルート)スー(ツ)は黒ですか」とたずねられたり。
 さらに何でも屋感は増していますが、広告(史)と若者文化(史)が、研究者としての私の両輪だと思っています。その二本立てで、春学期と秋学期の二回興行をしのいできたし、定年まで、まぁそんなことなのでしょう。

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