リレーコラムについて

ホコーシャと呼ばないで。

武田さとみ

熱下がりました!
ふらふらしないってすばらしい。

無事、デスクのみかんも食べにこられました。
想像以上においしかったです。ごちそうさまです。みかん。

さて、わたしは日頃、
わりとカンタンに傷つくタチです。
少々めんどくさいくらい、ささいなことでグサッときます。

今日は、近頃の傷ついたことをあげていって、
なんでこうも傷つくのか研究したいと思います。

たとえば、
工事中の道路をゆっくり歩いていて、
交通整理しているひとに
「ちょっとそこのホコーシャ」と呼ばれたとき。

(ホコーシャじゃなくて、名前があるんだよ・・・)
としょぼくれます。

たとえば、
電車で座っていて、降りるときに
「あ、あそこ空いたよー」といわれたとき。
たった今まで座っていた自分が、
じつは見えていないんじゃないかと不安になり、
なんだかちょっと傷つきます。

たとえば、
エスカレーターを降りていて、
前にこどもがいて、お母さんがこどもに
「後ろ!」といって、左側によらせたとき。
(す、すみません・・・歩いてて・・・)
という気持ちになります。

うーん、こんな感じで、
まだまだささいなことで傷つくことはあるのですが、
共通して言えるのは、
「自分が何者でもなくなったとき」というか
「見えてない」ような扱いをされたときです。

あの、胃がきゅっとなって、
一瞬存在がふわっとなる感じが、怖いんです。

わたしが座っていたあの座席は、
いってみればただのスペースなんだけど、
でもたしかにそこにわたしはいたんだよ、
そしてわたしよりも前に、いろんないろんな人が、
座っては降りていったんだよ、

というようなことを、
きみに言いたいんだ、言えないけど、そこの女子高生よ。
「空いた空いたー」と座る前にきいておくれよ。

そんなことを思いながら、電車をおります。

でも、自分が、同じく女子高生だったころは、
反対にどこまでも埋没したいと思っていました。

外に出るのが怖くて(いまでも若干まちが怖いんですが)、
私服だとひとりで洋服みたりするのはできなかったけれど、
制服を着ていれば怖くなかった時期がありました。(校則違反です!)

私服だと「たけださとみ」にならなければいけなかったものが、
制服なら「どこどこ高校の子」になることができた。
制服という隠れ蓑に、当時はとても安心していた記憶があります。

それが大人になった今、
真っ黄色のコートとかを着て電車にのっているのだから不思議です。

うーん、じめじめともどかしいこの感覚、
もっとすっきりさせたいです。
ひきつづき研究を続けたいと思います。

さあ、明日書いて、バトンタッチです!
コラム、楽しいです。

たけださとみ

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