リレーコラムについて

「言葉」のちから

波多野治

光居誠さんからリレーコラム受け継ぎました、波多野治です。
これから一週間よろしくお願いします。

私、実はこの5年の間、70-80%は中華圏で仕事をしています。
大陸と台湾。
なので、ちょっとそのあたりのこと書いてみようかなと思っています。

私が上海駐在を命じられたのは、優に50歳を過ぎたころ。
仕事はもちろん?クリエイティブ・ディレクターです。

TCCに籍を置くということは、私、一応コピーライターです。
そして、母国語しか話せません。
(それも、怪しいもんだと家人からは言われていますが。。)
いわゆる「羽をもぎ取られた鳥」状態で上海上陸を果たしました。

最初のうちは、まさに右も左もわからず
カフェスタンドでタピオカ・ミルクティを頼みたいのに
私の発音では通じることが稀で、だいたい不味い珈琲を飲んでいました。
「カフェイ」と言えば99%はOKでしたから。

当時部下には30名ほどのクリエイターがいましたが
全員中国人で、まったく日本語が分かりません。
通訳を介しての作業は、想像を絶する難作業。
言葉も文化も違うと、こうまでも違うのかとの毎日。
何度もマンションのベランダから下を見つめたものでした。

そんなある日、私に道を聞いてくる中国人に
「我不知道。不好意思,我是日本人。」
「わかりません。すみません、私日本人です」
と、わずかながら知っている中国語で答えたとき、
ちょっとびっくりした様子で見つめられた後、にこりとされ
「好的,谢谢你。」
「そうですか。ありがとうね」
と言われました。

あれ、この楽しい感じは何?
ひょっとして、気持ち通じてる?

このまま、私が日本語だけで話していたら、
きっと周りの中国人との交流もないんだろうなって。
そこで中国語を喋りたいという欲求がふつふつと。
少しだけ頑張って、時間を作っては勉強しました。

そして、会社での定例会議の後、
覚えたての中国語で少し個人的なお話をしました。
みんなの顔が、ぱっと明るくなり(なった気がしました)
それからのコミュニケーションが日を追ってスムーズになりました。

コピーはいらない。
写真や映像だけで伝えることはできる。

広告制作をしていると時々聞く言葉でありますが
私は、やはり「言葉」には強いちからが潜んでいると思います。

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